雪が無い!
今日は1/31日。
明日から2月。
なのに・・・
雪がありません!
一体、どうしたというのでしょう?
まるで秋田県らしくありません。
このままでは春~夏にかけて水不足が心配されます。
雪は降れば降ったで雪かきが大変だし、降らなければ降らないで水不足の心配をせねばならないし・・・
厄介なモノですな・・・。
でも、背骨の調子が余りヨロシくない私としては降らないに越した事はないのですがね・・・。
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今日は1/31日。
明日から2月。
なのに・・・
雪がありません!
一体、どうしたというのでしょう?
まるで秋田県らしくありません。
このままでは春~夏にかけて水不足が心配されます。
雪は降れば降ったで雪かきが大変だし、降らなければ降らないで水不足の心配をせねばならないし・・・
厄介なモノですな・・・。
でも、背骨の調子が余りヨロシくない私としては降らないに越した事はないのですがね・・・。
先日部屋に散乱している書物やらCDを整理してみたところ、物凄い数の本やCDがある事に気が付きました。
(もっとキチンと整理しろ!と言う声が聞こえてきそうですが・・・)
特にCDは一体どうしてこんなに買ったのか?と、不思議に思う程の量です。
その枚数、約1,000枚!
“ヒョェ~っ!”と我ながら驚いています。
別に私は評論家でもないし、レビューを書いてお金を貰っている訳でもありません。
ただ好きで色々買い集めていたら、いつの間にか溜まりに溜まってしまいました。
以前は収納ボックスに収めていたのですが、ついに収納ボックスでは収まり切らなくなってしまい、何時しか狭いスペースに山積みされて、高さ1m程までに成長(?)してしまいました。
それも一ノ山、二ノ山、三ノ山・・・と、どんどん横にも膨張して行きました。
そのうちに目的のCDが探せず、チョットでも触れると山崩れを起こしそうな塩梅なので、当らず・触らずのハレ物扱いになってしまいました。
流石にこれはマズイですから、どうにかこうにか整理したつもりなのですが、ビデオテープやDVDも溜まってきたので、このペースで行ったらまた同じ繰り返しに」なる可能性大です。
ん~、ヤッパリこれはオークションにでもかけて処分するしかないのでしょうかね?
(でも私は捨てられない性だからな・・・)
さて、この先一体どうしましょ?!
昨年より毎週楽しみに見ていたBS2放送の「男はつらいよ」が、いよいよ全48作を放送して先日終了しました。
いや~ァ、良かったな!
シリーズ物とは言え、何だか連続ドラマを観ている気がして一作品終了時には、“次はどんな展開になるの?”と、ワクワクしていました。
これだけの国民的映画となると、出演する役者さん達の注目度は否が上にも高まります。
私がマドンナ役として好きだったのは、浅丘ルリ子、吉永小百合、大原麗子、八千草薫、藤村志保・・・、と枚挙に暇が無いのですが、その中でも特に一人となると・・・、
やはり、浅丘ルリ子となるでしょうか。
そして、一番好きな作品となると第15作「寅次郎相合い傘」ですかね。
月並みな選択かも知れませんが、この作品には「男はつらいよ」の全作品に共通するエッセンスが散りばめられているのではないか?と、感じています。
渥美清演じる寅さん流の(武士は喰わねど高楊枝的な、ストイックで、一本気で、何よりも粋である事を信条とする)ダンディズムと、浅丘ルリ子演じるリリーの気が強いけど、少し危なっかしい、お茶目なマドンナ像が凝縮されているのではないか?と、感じています。
中でも雨降る中、柴又駅に出迎えに来て相合い傘で帰宅するシーン・・・
途中2、3言葉を交わし、傘をクルッと回すシーン・・・
これは見事なショットです!
正に白眉の出来栄えになっています。
日本映画史に残る名場面ではないでしょうか!?
そして、寅のアリア。
恰もそこに舞台があるかの様に語りかけるその口調。
舞台が目に浮かびます。
静かに緞帳が上がる様子が目に浮かびます。
パッと明るい照明が照らされます。
そして舞台の上にはリリーの姿が・・・
・・・泣けます。
渥美清の名演技が冴え渡ります。
この映画のハイライトです。
このシーンを見るだけでも価値があります。
そして、有名なメロン騒動・・・、と名場面が満載の作品になっています。
音楽も故山本直純氏作曲のとても馴染みやすい曲になっていますし、映画中で使用される曲も難解なアレンジは無く、皆に判り易くなっています。
曲も寅さん映画を引き立てているスパイスになっている事は間違いありません。
♪チャ~ん、チャリラリラ~、
パッパッラ~、ラリラララ~・・・♪
寅さんのテーマが流れて、否が上にも気分は盛り上がります!
現代の日本人が忘れている精神性、失われた風景、時代との調和・・・等、様々な視点から訴えてくる「男はつらいよ」。
私は好きです!
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※お知らせです。
私、秋田杉が語る音楽専門ブログを新しく開設しました。
今までより少しだけ突っ込んで音楽を語っています。
よろしければ遊びに来て下さい!
ブログタイトルは日々是音楽なり
新ブログはこちらをクリックして下さい!→こちら
(本ブログの左サイドバーにある“お知らせ”からもリンクしています。)
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我が懐かしのアイドル・・・
そう、それはザ・ピーナッツ!!
ん~、何とも懐かしい限りです。
丁度先日BSでザ・ピーナッツ特集が放送されましたので見ましたら、子供の頃の記憶が蘇ってきて何とも言えないノスタルジックな気分になりました。
曲も良い!
宮川泰氏作曲の作品が多いのですが、どれも日本人に馴染みやすい曲が多く、秀作揃いです。
宮川泰氏自身がジャズ・ピアニストであった事もあるのでしょうが、今聴いてもアレンジがなかなか凝っています。
インパクトを出すために今までポップスで殆ど使用されていなかったティンパニを使う等、様々なアイデアを出して曲の良さを引き立てています。
皆さんカラオケで良く歌う(?)「恋のバカンス」も良いですね。
私も好きです。
でも、私が一番好きな曲は何と言っても、
「ウナ・セラ・ディ・東京」!
この曲は堪りません!
先日の番組ではこの曲にまつわるエピソード(メロディに対して歌詞が足りず、即興で付け加えた)も紹介されて、ますますこの曲に対する愛着が湧きました。
「ウナ・セラ・ディ・東京」は色々な方々がカバーしていますが、中でも私は初代サルサ・ピーナッツの演奏がお気に入りです。
あの大御所ティト・プエンテが何と、ビィブラフォンで参加して味のある演奏を聴かせています。
ミドル・テンポのサルサにアレンジされて、少し気だるいアンニュイな雰囲気を醸し出していて、何とも良い仕上りになっています。
勿論、歌詞はスペイン語で歌っています。
それにしても私世代の人間は幼少の頃には、ゴジラが大好きでしたので、あのモスラにザ・ピーナッツが登場した時は狂喜乱舞して喜んだものでした。(私だけ?)
意味不明な歌詞で歌を歌って、モスラを呼ぶ双子の小人は正にハマリ役に思えました。
モスラ~や、
モスラ~、・・・
今も頭の中に鳴り響く私です。
最近気になる音楽があります。
どうも、なかなか頭から離れません。
見事に作曲者の術中(?)に嵌ったみたいです。
その音楽とは・・・
イタリアのボサノバ・グループBrazilian Love Affairの歌う「Doce Taboo」です。
日本ではシャーデーの歌う「Sweetest Taboo」で知られている歌ですね。
何故かこの曲が頭にこびり付いて離れません。
困ったモノです!
歌詞はポルトガル語で歌われていて、ボサノバにピッタリですし、何たってボーカルのDilene Ferrazのキュートで可愛いボーカルが魅力です。
・・・
Ai voce me...
Ai voce me da um doce taboo
E demais pra mim...
ん~、困った!この調子では当分この歌詞が頭の中を占領しそうです・・・。
Dilene Ferrazの公式ホームページはこちら
(ホームページから何曲かボーカルが聴けます)
さて、今日は少しだけ広告をします。
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ヨロシクです!
私の好きな作曲家にスティーブ・ライヒ(Steive Reich)という方がいます。
初めて聴いたのは19歳の時でしたが、それまでに聴いた事が無い不思議な感覚に陥ったのを記憶しています。
その時は単純に、“こんな凄い音楽を構築出来るなんて、どんな頭の構造をしているのかな?”と、疑問に思っていました。(今でも疑問なのですが・・・)
その後、クロノス・カルテットやパット・メセニーといった大物アーティストが続々と作品を取り上げ、演奏してメジャー街道を進んでいったのですが、相変わらずマイペースで良い作品を発表しているみたいなのでファンとしてはとても嬉しい限りです。
ライヒの作品は一般的にミニマム・ミュージックと言われるカテゴリーに属しています。
現代音楽なのですが、(ある意味で)耳障りが良く、クラシック音楽や現代音楽を苦手としている方にも、意外に好感を持って貰えるのではないか?とも思います。
有名な作品で「砂漠の音楽(Desert Music)」がありますが、以前に三菱自動車のギャランのCMにも使われた事があるので、もしかしたら記憶している方もいらっしゃるかも知れませんね。
この音楽にも表れているように、反復するリズミックなフレーズを巧みに展開させて、次のシーケンスと連動させて複雑なポリ・リズムを構築します。
そして、そのフレーズがまた違うシーケンスへと時間をかけて変化する構成は見事!の一言に尽きます。
最近私は専ら車を運転する時のBGMはライヒの音楽になっています。
刻々と変化する車窓の景色は、時間と共に変化するライヒの音楽とマッチしているように思うのですが、どうでしょうかね?
機会がありましたら是非皆さんもスティーブ・ライヒの音楽を聴いてみて下さい。
きっとハッとする発見があると思いますヨ。
※私のオススメは「ニューヨーク・カウンター・ポイント」
↓
私はクラリネットの斬新な使い方にこの楽器の魅力を再発見しました!
さて、今日は久々に私の演奏をアップします。
曲はチャイコフスキー作曲/花のワルツから「トレパーク」です。
(後半のサビの部分からの演奏にしています)
「tchaikovsky_nutcracker_trepak.mp3」をダウンロード
お楽しみ下さい!
今日もマヅイです。
また、時間がありません。
やる事が目白押しです!
今週になってから一日平均睡眠時間は2~3時間で頑張っています。
まともな記事を書けるのはもう少し(?)後になりそうです・・・。
ん~、マズイ!
最近は時間が思うように取れなくて、ブログもなかなか書けない状況が続いています。
そんなんで、まともな記事なまた後日に・・・。
今日こんな記事を見つけました。
ビートルズ演奏で逮捕! 「なぜだ」という素朴な疑問
社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の許諾を得ずに、同協会が著作権を管理する曲を自身が営業するスナックで生演奏していた疑いで、東京都練馬区の飲食店経営者(73)が逮捕された。著作権法違反の容疑で逮捕に至るケースは極めて異例だ。JASRACは「それ以外に手段がなかった」としているが、ネット上では刑事告訴したJASRACへの批判の声が上がっている。
http://www.j-cast.com/2006/11/10003787.html から
著作権侵害による逮捕なのですが、これはどう考えれば良いのでしょう?
確かに知的財産所有権は重要です。決して侵害出来ないと私も考えております。
でも、法律が曖昧過ぎて、とてもおかしい事だらけなのも現実なのではないでしょうか?
個人で楽しむのならOKなのに、公共で金銭を発生させる行為に及ぶ事がダメなら、ストリートジャズミュージシャンは誰もいなくなってしまいます。
彼らは公衆の前で著作権の切れていない曲を演奏して、日々の糧としているのですから!
もしも、素晴らしい演奏が聴けるのに法律によってその機会を失うとしたら・・・、それは皆にとって不幸な事となるのではないでしょうか?
また、地方のアマチュア音楽愛好家(ブラスバンド、マーチングバンド、その他何でも)は入場料をとっていると思いますが、皆さん演奏する曲をJASRACに申請して演奏しているのでしょうか?
↓
それは殆ど無いと思いますが・・・
昔、昔、ヨーロッパでは国の楽団員のトランペット奏者より高い音(ハイ・ノート)を出した者は死刑!という法律があったと聞きましたが・・・、こんな事をしていると、何だか法律によって皆の楽しみを奪いかねない気がします。
“悪法も法なり”と言われないためにも、双方にとって望ましい法整備を望む秋田杉でした。
チャン、チャン!
※今日はココログばっちりでした!
ココログでスパム対策の緊急メンテナンスをしたために、記事更新が上手くいきませんでした。
また1/23に緊急メンテナンスをするそうですので、どうなるかな?
いけませんね!
例の「発掘!あるある辞典Ⅱ」の納豆番組。
それはうそだった。
フジテレビ系列で7日放映の「発掘!あるある大事典2」が紹介した「納豆ダイエット」。
番組を制作した関西テレビが20日会見し、効果の根拠としたデータや専門家の発言に、多数のでっちあげが含まれていたことを明らかにした。
番組放映後、スーパーでは売り切れが相次ぎ、メーカーは増産に追われて新聞におわび広告を出した。
「毎日食べていたのに」。消費者からは怒りの声が上がった。
関西テレビで発覚した番組のねつ造に、納豆の増産態勢をとってきたメーカーは「振り回された」と憤りを隠さない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070121-00000002-maip-soci
これでは「ないない辞典Ⅱ」と呼ばなければなりませんね。
公共の電波を利用して流す情報番組がこんな事をしていてはいけません!
消費者は有益情報と信じて番組を見ているのですから。
でも、ここのところ大手会社の不祥事が目に付きますな・・・。
そうそう、この間書いた記事の仮面ライダーカードはオークションで最終的に196,000円の値段がつきました!
このカード1枚ですよ!
オドロキです!!
今日は甥から“ハッ”とする質問を受けました。
甥:“おじさんが弾いているあの大きい楽器は何て言うの?”
この楽器の事
私:“大きいって、あのボンボン音がする楽器の事か?”
甥:“うん、いつもジャズをやる時に弾いているから、ネットでジャズベースって入れて検索したけど、何だかエレキギターみたいなのしか出てこないんだ。”
私:“ああ、そうか・・・。あれはコントラバスって言うんだ。”
甥:“えッ、何、その名前。初めて聞いたよ!”、“ジャズで使うからジャズベースじゃないの?”
私:“ん~、確かにその名前も間違っていないとは思うけど、一般的にジャズベースだと登録商標になってしまうかも知れないな・・・。”
甥:“ん~・・・”
私:“他には、ダブルベースとか、ストリングベース、ウッドベース、アップライトベース、アコースティックベース、ベース・フィドルとも言うよ。”
甥:“何、それ!、何でそんなに一杯呼び方があるの?”
私:“ん~、・・・”、“・・・・・・・・・・・・・・・・”、“分からない!”
そう、考えてみれば不思議な楽器です。
ピアノだと、グランドピアノ(またはコンサートピアノ)かアップライトピアノだけでしょう。
(それでも形が違うからね)
ギターだと、生音をメインとするのはアコースティックギターか、フォークギター。(スチールギターとも言うか)
ガット弦はガットギターか、クラシックギターだし・・・。
ん~、どうしてベースにはそんなに一杯呼び方があるのでしょうか?
また新たな疑問が生まれました。
そんな私がオススメするベースの醍醐味が味わえるCDはこれ!
富樫雅彦/LIVE
(富樫雅彦、井野信義、佐藤允彦、峰厚介)
この2枚、なかなか良いです!
昨日はインターネットで様々な検索を繰り返しておりました。
時代と共に人の考え方も変わるものだと、つくづく実感した日でもありました。
現在ヤフー・オークションで高額取引されている物に「仮面ライダーカード」があります。
これは私が子供だった頃にとても流行したもので、一時社会現象にまでなった記憶があります。
当時お菓子(スナック菓子)のおまけに付いていたカードですが、子供は誰もそのお菓子を食べずに(食べ飽きた!?)カードだけ取り出して、お菓子は捨てた記憶があります。
大人達は「何て勿体無い!」と憤慨したものでした。
そのおまけに付いていたカードが今は何と!
ラッキーカードは1枚10万円以上で取引されているではないですか!
でぇ~、え~、エ~・・・
オドロキです~ゥ!!
びっくりしました!
確かに当時からラッキーカードは珍しく、希少価値の高い物でしたが、
現在の高取引を予想していた子供は皆無だったでしょう。
まして、インターネットでオークションなんて考えた子供は誰一人いなかった筈です。
時代の流れとは恐ろしいものですナ・・・。
そんな私が今日再び読んだのはこの本。
「仮面ライダー本郷猛の真実」
ん~、何だか色々考えさせられた1冊です。
前回ざ~ます言葉でとても疲れてしまったので、今日はいつもの調子に戻しちゃいました。
ふらんす事情・・・その2です。
今回はパリの街について書きたいと思います。
ご存知の通りパリの街は歴史的建造物が数多くあり、道路には石畳も多く敷かれています。
まあ、シャンゼリーゼ大通りは舗装されて道幅も広く、いわゆる都会の道路に相応しいのですが、車が入れない細い路地や裏道は昔からの石畳が未だに現役で活躍しています。
この石畳がパリの古い街並みとマッチングしていて、パリをよりパリらしく見せる役割を担っているのではないか?とも考えたりもします。
冬の朝は明けるのが遅く、朝7:00でも未だ暗くて、街灯の灯り無しでは足元が覚束ないのですが、私は早朝に散歩をするのが好きでした。
特にお気に入りのコースは、エッフェル塔からセーヌ河沿いに自由の女神までのコースでした。
エッフェル塔~自由の女神と続くコース
(写真右側ニッコー・ド・パリなどの高層ビルが立ち並ぶコースがお気に入り)
セーヌ河を挟んで対岸に昔ながらの街並みが見えるこのコースは、朝のうちはそれ程人通りも多くなく、ひっそりと物思いに耽ってセーヌ河の流れの音に耳を澄ませれば、人生を諭してくれるような錯覚がして好んで歩きました。
愛犬を連れて散歩している老人、
出勤前のジョギングをしているサラリーマン、
朝食をパン屋に買いに行くであろう主婦・・・、
みんな思い思いに薄暗いパリの朝を楽しんでいる気がしました。
“ボン・ジュール”と、声を交わすと、そこは粋なパリ人、“ボン・ジュール”、“サバ?”と気さくな返事が返って来て、爽やかな一日の始まりとなるのでした。
私もパン屋で朝食となるパンを購入し、かぶりつきながら散歩を終える事も多くありました。
朝と夕暮れが特に美しいセーヌ河の風景(セーヌにはセピア色が良く似合う!)
セーヌ河には様々な思い出があるのですが、それはおいおい書いて行きたいと思っております。
さて、今度はエッフェル塔です。
特に夜景が美しいエッフェル塔
建設当時は批難の的とされてきたエッフェル塔も、現在ではすっかりパリの街の風景として溶け込んで一大観光スポットとなっています。
いつ行っても世界中の観光客が列を作って入場を待っています。
でも、忘れちゃならないのはパリは北の街だという事です。
緯度は北海道札幌市より少し北にあります・・・つまり、とても寒い!という事です。
実は私もこのエッフェル塔に入場しようと思い、冬の寒空の下、行列に加わって並んだ事がありました。
その時の体調もあったのでしょうが、秋田生まれの私でも寒くて寒くて、震えが止まらず、遂には悪寒が背中を縦横無尽に走り回って、目の前が暗くなりかけた事があります。
幸いにしてこの時は程なく入場出来て、速攻中にあるカフェに駆け込んで身体を温める事が出来ましたから、大事には至らなかったのですが・・・。
ともかく冬の寒さは厳しいモノがあります。
エッフェル塔を下から眺める・・・その大きさと、漆黒の空とのコントラストの見事さにボーとする
でもこんな綺麗な眺めはパリならではなのかも知れませんね。
(ラスベガスにあるホテル“パリ”のエッフェル塔では、チト味わえないかな・・・?)
エッフェル塔の展望台から眼下にパリの街を見下ろし、暫しこの街が辿って来た歴史に想いを馳せる・・・
ん~、つくづくオノボリサン気分です。
さて、余り裏話をしていなかったで、ここで少しまともに話します。
先ずはフランスは芸術性を重んじる文化土壌がある事に端を発しているのでしょう。商業主義を少し軽蔑するキライがあるように思われます。
この事はアメリカに代表されるビジネス優先主義とも相容れない事が多いと思います。
そのため、放送に関わる各メディアは芸術性、文化性を第一義として、本来は優先されるであろう利益重視を二次的な物として扱っている感があります。
それを後押しするように、フランスには外国語を規制する法律があります。
商品広告には商標名を除いて全てフランス語で表記せねばならず、外国製品には必ず翻訳説明を付けねばなりません。
そして音楽は、放送メディアを通して発信される場合、外国音楽は一定の範囲内に収めなければなりません。(確か20%以内)
この様に外国語に関して様々な規制があります。
これは良し悪しの問題ではありません。
その国民に受け継がれている民族的意識、誇り、将来への希望などの問題でしょう。
フランス人は己のアイデンティティーに対する意識が高く、祖先を大事にし、誇り高い生き方を選択する事を好むと思います。
“元々、英語はフランス語を借用して出来た言語である”という意識もあるのかも知れませんが、ともかく色々なところで英語は
“No English!”
といって拒絶されるケースも多いのも事実です。
パリの様な大都会ですら英語に対する拒絶反応がありますので、名前の無い様な小さな村や集落では・・・、押して知るべしです。
フランスがアメリカ文化を批難する時によく使う“文化帝国主義”には、この様なフランスのお家事情があるのです。
その一方のアメリカはヒスパニック系によるラテン化への防衛に必死(英語防衛運動)になっていますし、・・・
ん~、お家事情色々あるもんですな!
さて、今日はフランスを代表する作曲家のこの曲を
ドビュッシー作曲:二つのアラベスクから「アラベスク第一番」
演奏:秋田杉
「debussy_arabesque_no.1.mp3」をダウンロード
お楽しみ下さい!
昨日新聞を見ましたら、とても悲しい記事が二つ載っていました。
一つは初代ウォークマンに登場した“あの瞑想する猿”こと、チョロ松の死です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070114-00000082-jij-soci
(このCMから早くも20年が経過したとは・・・)
何やら深遠な表情で音楽を聴き入るその姿は、私のみならず多くの視聴者に鮮烈なインパクトを与えたのではないでしょうか?
SONYウォークマンがヒットした一因にもなっていたのではないでしょうか?
私にはそう思えてなりません。
芸猿として日本全国を旅回りしていましたが、現役を引退してからは熊本県で余生を過ごしていたそうです。
享年は29歳でしたが、人間で言えば100歳を超える大往生だったみたいです。
悲しいのですが、お別れです。
“お疲れ様でした”
二つ目は敬愛するサックス奏者マイケル・ブレッカーの死です。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20070114007.html
マイケル・ブレッカーの死は悲しくて、悲しくてなりません。
特に面識があった訳でもありません。
一方的に私がファンであっただけです。
しかし、初めてそのライブを見たニュー・ヨークの夜。
身体から搾り出すように奏でるそのサウンドの力強さと、フレージングの見事さ。
バラードで聴かせる情感豊かな囁くようなブロウ。
マイケル・ブレッカーの音楽に酔いしれた時間・・・。
音楽が持つ魅力を改めて教えてくれたマイケル・ブレッカー。
私がコルトレーンに嵌った時には、既にコルトレーンはこの世の人物ではありませんでした。
マイケル・ブレッカーは私にとって“生ける伝説”そのものでもありました。
その伝説にも遂に、幕が下ろされたのです。
時の流れを感じませす。
とても残念で、残念でなりません!
マイケル・ブレッカー、白血病にて死す。
享年57歳。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
でも、どうして、サックス奏者はこうも早死にしてしまうのでしょう!?
チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、ボブ・バーグ・・・、そしてマイケル・ブレッカー
とても悲しいです。
・・・合掌。
何でも今、納豆がブームだそうです。(今だけかな?)
先日、放送されたテレビ番組が火付け役だそうで、何とも流行りモノに目敏い日本人は我先に飛びついたのかも知れませんな。
さて、この“納豆”なる食べ物は相当昔から日本にあるみたいです。
その独特の匂いと粘りのため敬遠される方も多いと思います(特に関西地方?)が、秋田の田舎では何処の家庭でも定番のように食べられています。
日本一の生産量を誇るのは茨城県ですが、消費量は福島県が最大と聞いています。
でも、秋田県でも負けていません。みんなガンガン食べます。
そして面白いのは、その食べ方です。
実に様々な食べ方があり、「これ程食べ方のバリエーション豊かな食品も少ないのでは?」とも感じています。
その家庭では当たり前の食べ方が、実は特殊だったり・・・、
その反対に特殊だと思っていた食べ方が、実は一般的だったり・・・、と様々です。
因みに私の今朝の朝食も納豆でしたが、私の場合はあの粘りが苦手なので掻き回す事はしません。
納豆の入っている器に和辛子を適量トッピングして、醤油を数滴垂らした納豆を箸ですくい、それを白いご飯の上に乗せて食べます。
場合によっては、和辛子なしで塩を振りかけて白いご飯の上に乗せて食べます。
家族の者は刻みネギが無ければ食べれません。刻みネギと醤油を混ぜて掻き回し、糸を引いた納豆を白いご飯の上に乗せて食べます。
この様に我が家では家族であっても食べ方がマチマチです。
そして今まで私が見た範囲内ではこんな食べ方をしている人がいました。
●タレを混ぜて食べる
●鶏卵やウズラの卵を混ぜて食べる
●ミョウガを混ぜて食べる
●大根おろしを混ぜて食べる、
●鰹節を混ぜて食べる
●トンブリ(秋田名産のホウキの実:畑のキャビアとも言われる)を混ぜて食べる
●味噌汁の具として食べる
更に聞いた話では、
●マヨネーズを混ぜて食べる
●トマトケチャップを混ぜて食べる
●砂糖を混ぜて食べる(母の父がそうだったらしい)
更に、更に、
●和風スパゲッティのトッピング
●お好み焼きの具
●カレーライスにかける
●ラーメンのトッピング
●天ぷらにして食べる・・・
ん~、もしかしたら既に一般化している食べ方なのかも知れませんが、どうにも私はダメです。
やはり、自分の食べ方が一番だと思っている私です。
でも、ドイツ人はスパゲッティに砂糖を入れて甘くして食べるって聞いた事がありますが、本当でしょうか?
さて、食べ物ついでにマナー(いわゆる洋食テーブルマナー)についても書きたいと思います。
最近の若い子は学校でテーブルマナーについて教わる事もあると聞きます。
でも私の頃はそんな授業はありませんでした。全て自分で体験して人真似をして覚えるしかありませんでした。
“ナンだ、そんなの、面倒チィ~な!”と、思いながらも社会人として恥を掻かないように覚える必要がありました。
今日は「フォークがどうだ」、「ナイフがどうだ」といった細々とした決まり事は敢えて書きません。(いずれ書くかも知れませんが・・・)
大事な事は食事中の姿勢です。
どんなに完璧に洋食テーブルマナーを身に付けていても、
例えリンゴの皮をナイフとフォークで綺麗に剥けても、
姿勢が悪ければダメです。
マナーはバッチリなのですが、ついつい会話に夢中になって普段の格好で食べている方、
お洒落に決めてパスタを“ズルズル”と音を立てないで、静かに小口に運んでいる方、
デートで格好良いレストランで食事をしている方・・・、
姿勢を考えていますか?
前のめりになって、料理の器に顔を近づけて食事していませんか?
もしそうだとしたら、とても格好悪いです!
ヨーロッパでは(日本でも?)子供が親から教わる食事マナーの第一は姿勢だそうです。
“ナイフやフォークは食べ物を口に運ぶためにある”という考えがあり、“口(顔)を器に近づけるのはみっともない”と考えています。
実は、街中で姿勢の悪い食べ方をしている人を多く見かけます。
男女共お洒落な格好をしているのですが、姿勢が悪いためにとても格好悪く見えてしまいます。
テーブルマナーに気を使うと同様に、姿勢にも気を使いましょう!
(お店の人も一目置く筈です)
で、私はどうかって?
そ、そ、そりゃ~・・・、ラーメン屋で器に顔をうずめて、麺をズルズル掻っ込んでます・・・・。
おふらんすでございます。 (o^。^o)
ぼん・じゅ~る♪でございます。 (●^□^●)
とれ・びあ~ん♪でございます。 )^o^(
今回はそんなおふらんすはパリ事情でございますの、オホホ・・・
あ~ら、ごめんあ~そばせ。(*^о)ゞ オホホ・・・
世界にはたくさん都がございますの。
霧の都「ロンドン」
芸術の都「ウィーン」
水の都「ヴェネツィア」
永遠の都「ローマ」
美人の都(?)「秋田」・・・
そして、花の都「パリ」なのでございますの。
(えっ、花の都はフィレンツェじゃないかって?、おだまり!そんな事は知りませんの!オ~、ほッほッ)
先ず今日はヴェルサイユ宮殿をお話しするざます。
ヴェルサイユまではパリ市内から電車を使ってVersailles Rive Gauche(ヴェルサイユ-リブゴーシュ)駅下車が便利でございますの。
Versailles Rive Gauche駅からは直線でヴェユサイユ宮殿まで行けますことよ。
途中にはマルシェ(市場)があり、季節の野菜や果物、花やハーブや香辛料のお店もあるので、お楽しみになれると思いますわ (^o^)v
宮殿内はそれはそれは広~ございます。
有名な「鏡の間」もございますことよ。
あの有名なルイⅠⅣ世もこちらのご出身ですの。
そして、あの広い宮殿中にはトイレはありませんの!
オ~ほっほっほォ!
だから予め入口付近のトイレに行っておく事をオススメしますわ。(チップ必要)
だって、出口付近のトイレはとっても混むんですもの。
あら、失礼っ!
でも、昔のおふらんすのトイレ事情はとっても悪くて、それに纏わる逸話が山のようにありますのよ。
いつかお話し出来るかも知れませんざますわね。
宮殿のお庭もとっても広いざますの。
いつ行っても手入れが行き届いていて、とても綺麗ざます。
流石は世界遺産ですこと!
ルイⅠⅣ世がマリー・アントワネットのために建設したプチ・トリアノンは離宮ですから、ここからもう少し離れた所ありますの。
そこもとっても綺麗ざますわよ。
どう、参考になりましたざましょうか?(なる訳ないか)
オ~ほっほっほォ( ̄Oノ ̄*)オ~ほっほっほォ
今日はそんなおふらんすに敬意を表して(?)この曲を。
ラベル作曲:「水の戯れ」、演奏:秋田杉(中間部~後半部を抜粋)
「ravel_jeux_deau.mp3」をダウンロード
お楽しみ下さい!
※ざ~ます言葉は疲れました(=_=;)
1/6の記事「シチリアへの憧憬・・・その4」の続きです。
ナポリは雨。
雨のナ~ポリ。
シトシトと降る雨の中をナポリ中央駅まで、ホテル「カブール」から徒歩1分。
今日は近郊の町、ポンペイへ遺跡へ出発です。
駅前にタムロする訳の分からないジャンキー連中を無視して、
二等席切符を購入して、イザ出発!
頭の中は例のフニクラ鉄道のメロディがノン・ストップで流れています。
♪ 行こう、行こう、あの山へ~
フニクリ、フニクラ~ ♪
南下するに連れて雨は治まり、ポンペイ近くになったらスッキリと晴れていました。
程なくしてポンペイ駅へ到着。
思いの他、質素&殺風景な駅前です。
駅に隣接しているバールでアランニーニを買って、頬張りながら遺跡を目指します。
地図も何も無いので場所が分かりませんが、適当に駅前から真っ直ぐ延びている通りを進むとそれらしき入口を発見しました。
綺麗なイタリア娘から入場券を購入してゲートをくぐると、
そこには2000年前のイタリア住民の生活がありました!
先ず、初めに私を出迎えたのは古代闘技場!
「ん~」、「・・・ここで闘剣士が闘わせられたのか・・・」
「どういう思いだったんだろう・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なかなか言葉が出てきません。
広い観客席に腰を下ろして2000年前の景色を想像するだけです。
闘技場を後にして街中へと足を進めると、
2000年前の生活を直に感じる事が出来ました。
馬車の通行で窪んだ石畳、
壁に残された落書き、
パン屋の石臼、
ワインが入っていたであろう貯蔵庫、
雨水を溜めておく貯水堀、
床を飾るモザイク・・・、
全てが2000年前そのままに封印されていました。
昔から「この目で見たい!」と思っていた“ポンペイの赤”も存分に見る事が出来ました。
広場には向かって行くと、
そこは恐らく政治の中心地だったであろう巨大なモニュメントがありました。
更に右に折れると、庶民の憩いの場であった公共浴場があり、
当時の生活が伺えます。
暫く中を見学していると信じられないモノを目にしました!
何と、当時ベスビオ火山の噴火から逃げ遅れた人の石膏です!
ベスビオ火山の噴火の凄まじさをマザマザと見せつけられ絶句するしかありません!
♪ 行こう、行こう、あの山へ~
フニクリ、フニクラ~ ♪
などと、お気楽にフニクラ鉄道のメロディを歌っていた己自身を恥じて、日本式の合掌をして、その場を後にしました。
その後も見学して回ったのですが、どうも先程の石膏が頭から離れず、何を見ても悲惨に映ります。
複雑な思いを抱いてナポリへと戻りました。
ナポリ中央駅に到着すると、またしても雨です。
朝出発する時と変わらずにシトシト降っています。
そんな雨の中を「スパッカ・ナポリ」へと出掛けました。いわゆる庶民の下町です。
逞しく生きるナポリっ子の原風景を垣間見た気がします。
その後、Castel dell' Ovo(卵城)を見て、ナポリ湾沿を散策し、ここでホテルに帰ると良かったのですが、どうしても行きたい場所がありました。(それが不思議体験の始まりだったのですが)
そこはNAPOLI SISTEMA MUSEOです。
ここに収蔵されている名画をどうしても見たくてタクシーを飛ばして駆けつけました。
閉館時間までそんなにありません。
駆け足でお目当ての絵画を見るしかありません。
どうにか、お目当ての絵画を見る事が出来た私は大満足でホテルに戻るべく、外に出ました。
が、生憎外は雨です。
それも大雨です。
土砂降り状態です。
おまけにすっかり日も落ちて真っ暗です。
私は傘を持っていなかったので、博物館中の公衆電話からタクシーを呼んで待つ事にしました。
・・・5分経過・・・、
・・・・10分経過・・・・、
・・・・・20分経過・・・・・、
・・・・・・30分経過・・・・・・、
一向にタクシーは来ません。
「どうなっとんじゃ~!!」と、激昂し、
「ええ~い、来ないタクシーなんぞ当てに出来るか!」と、土砂降りの中、近くにあったバールに入ってバス停の場所を聞きました。
歩いて5~6分の所に駅前行きのバス停があるそうなので、ダッシュして向かいました。
「おお~、あった、あった!」と、バス停を発見して雨の中、暫く待っていると
駅前行きバスがやって来ました。
「やれやれ」と、胸を撫で下ろしバスに乗り込みました。
乗客はナポリ人と思わしき方々が5、6人です。
バスは順調に雨のナポリを走り、数回バス停で乗客の乗降を繰り返した後、突然、
運転手「え~、皆様本日は当バスをご利用頂きまして誠に有難うございます。この先、事故が発生しましたので、これより当バスは高速道路を経由して駅前まで直行いたします。ご都合の悪い方がいらっしゃいましたら、お申し出て下さい」
とナポリ方言丸出しで、アナウンスし出しました。
(ナポリ方言が良く分からない私はそう理解しました)
「何ッ!」と仰天する私。
「あんた、そんな事言ったって・・・」
乗客も多少ざわついていましたが、そんな事はお構いなしに
運転手(嬉しそうに)「いらっしゃいませんね。では、これより高速道路に入ります!」(^ー^)
と、雨のナポリ高速に突入するのでした。
運転手は恐らく生粋のナポリ人です。
高速道路に入ると今までの市内運転が嘘のようにカっ飛ばします。
アクセル全開です。
猛然と疾走します。
車線を右に、左に、バンバン前の車を追い越して行きます。
130~140キロは出ているでしょう。
車窓から見えるナポリの夜景がドンドン変わって、物凄いスピードで流れて行きます。
「・・・・・・」
怖いです。
20分位走ったでしょうか、
運転手もストレス発散出来たのか(?)、
高速道路を降りて一般道路に入り、程なくしてナポリ中央駅前に到着しました。
運転手「皆様、大変お疲れ様でした。当バスは無事ナポリ中央駅前に到着しました。どなた様もお気をつけてお降り下さい。またのご利用をお待ちしております。」
と、再びアナウンスがありました。
「ってあんた、あんたどうして先が事故だって分かったの?」、
「あんた単純に何か面白くない事があって、ストレス発散のために高速道路でカっ飛ばしただけじゃないの?」
と思ったのですが、疲れきった東洋人は無事到着した事が嬉しくて、ソソクサとバスを降りるのでした。
それにしても不思議な(?)体験でした。他の国では考えられません。
東京だと都内路線の都バスが新小岩から新宿駅まで高速道路を使って行くようなものです。
(しかも通常料金で!)
不思議な体験をした秋田生まれの東洋人はホテルに戻り、翌日は慣れ親しんだローマへと帰るのでした。
でも、やっぱりナポリ駅前の喧騒は相変わらずで寝不足でした!(ρ_-)/
※ナポリ式の道路横断に慣れてしまって、翌日ローマでやってしまったら、クラクションの嵐&批難轟々の目に会ってしまいました(当たり前だっちゅ~の)
今日は1月12日です。
昨日の数字ネタと今日の日にちに因んで・・・
“12”とは不思議な数字です。
現在の世の中はあらゆる面に於いて合理性が求められているため、キリの良い数字である“10”を多く用います。
実際に、10mm=1cm、100cm=1m、1000m=1km
1000g=1kg、1000kg=1t
1000MB=1GB
100円硬貨10枚=1000円札1枚、1000円札10枚=1万円札1枚
などなど・・・
10を一つの単位と捉えて思考、行動する事が多いです。
誰かと時間の待ち合わせをする時も、“10分後”、“30分後”といった風に10分単位で区切る事が多いのではないでしょうか?
少なくとも“36分後”、“48分後”といった12分単位よりは頻度が高いと思います。
しかし、この“12”という数字はしっかり私達の生活に溶け込んでいます。
誰もが知っている事でしょうが、
●鉛筆(単位はダース)
●時計(1時~12時)
●月(1月~12月)
●干支(十二支)
●一回り(例:あの人と私は一回り年が違う、等)
●幼年期~少年期の境(中学1年で迎える年齢は13歳)
等があります。どうやら時間的な単位が多いみたいです。
他にも、かの有名なワイアット・アープのバトルライン・スペシャルも12インチですし(関係あんの?)、
絵具の色(断然12色、24色セット・・・と12単位が多い)もですし、
煎餅も12枚入り、24枚入りが多い気がします。
音楽的にはどうでしょう。
●オクターブ内の音数(12音・・・西洋音楽の平均律の場合)
●フラメンコのコンパス(リズム単位→12拍=1コンパス)
●ブルースの1コーラス(12小節で1単位)
●初期のシーケンサーの分解能(4分音符や3連符を表現しやすいため最小公倍数の12が選ばれたみたいです)
●CDのサイズ(12cm)
●LPレコード(昔懐かしいアナログのLP盤レコードは12インチ)
●12弦ギター(関係ないっか)
等があります。
ん~、どうやら音楽も“12”との関係が深そうです。
そんな事を考えながら12音の間を右往左往する私です。
さて、今日弾いたのはこの子!
Chakiのダブルベース。
たいぶ傷んで来ていますな・・・。しっかり労わってあげねば!
シーケンサーによる打ち込み(リズム&バッキング)をバックにして練習しました。
【しかも椅子に腰掛けながら】
暫く弾いていなかったので、直ぐに指先が痛くなりました。
ん~、イカンイカン!
そして、私のベースバイブルともなっている教則ビデオはこれ!
マエストロ井野“チュピマス”信義先生の「アコースティック・ベース」(リットー・ミュージックより発売)
何故かパリの青空市場で格安にて購入。(フリー・マーケットで売っていたアンチャンはとてもベース弾きには見えない“ヘビメタ小僧”でした)
でも教則内容は素晴らしく、判りやすい優れモノです。
氏の人間性が滲み出ている映像はこちらでご覧になれます→http://ub-x.txt-nifty.com/blog/2007/01/post_0f9e.html
氏のブログはこちら→http://sonaish.tetsu-saitoh.com/
※そういえば私の母も12日生まれなんだよなぁ・・・
“数字は語る”
そう、数字は物言わぬ哲学者なのです。
私達はその哲学を幼少の頃から学び、思考して実践しているのです。
ある者はその魅力に憑りつかれて生業とし、研究し、発展させます。
またあるものは全く魅力を感じず、嫌いになってしまいます。
(私が典型的落伍者)
でも違った角度から見ると意外な発見があったりします。
数学嫌いの私の推薦はこの本。
「フェルマーの最終定理/ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで」(新潮社)
書いてある数学的な説明はサッパリ分かりません!(これが理解出来る人は凄い!尊敬します!)
テーマは至ってシンプル、
“3以上の自然数nに対してxn + yn = zn を満たすような自然数x、y、zはない”
これだけです!
この命題をフランスのアマチュア数学者であるフェルマーが1630年代に発表し、その後360年間世界の名だたる数学者がこの命題に挑戦しましたが、悉く失敗し、遂に1995年に完全証明するまでの経緯が書かれています。
数学オンチな私はこの本を歴史物語、サスペンス小説、スパイ小説のようにして読みました。
特に面白く、ショッキングだったのはピタゴラスの思想、生き方です。
“直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい”
で、世界中の老若男女に知られているピタゴラスですが、このピタゴラスなる人物も数字の哲学に憑りつかれ、遂には自分の哲学を実践する団体を設立しました。
この団体は“ピタゴラス教団”と呼ばれ、当時の有力な後援者をバックに総勢600人を越える教団員(弟子)がいたそうです。
そのピタゴラス教団に入団するためには、財産を全て寄付しなければならず、徹底した秘密主義を貫いた、今で言うところの新興宗教団体だったそうです。
秘密を洩らしたためにピタゴラスによって殺害された人物もいるらしく、この事はこちらの本にもっと詳しく載っています。
「天才数学者たちが挑んだ最大の難問/フェルマーの最終定理が解けるまで」(早川書房)
ピタゴラスは数字を崇拝物にして“数と数との関係を理解することによって、宇宙の霊的神秘が明らかになり、神々に近づける”と考えていたらしいです。
その研究の遺産が現在に暮らす我々に様々な恩恵(迷惑?)を与えているのです。
数字の持つ多様な魅力・魔力(?)を知る良い本ではないでしょうか?
ん~、数字は語る・・・・。
チト今回は堅い話になりすぎたかな(×_×;)
今日も雪の降る秋田でした。うぅ~、さぶ。
遂に雪です。
いよいよこの雪が根雪になりそうな気配です。
って事は、これからの数ヶ月間は雪との格闘という事です。
今まで暖冬の影響で雪かきはしていなかったのですが、これからはそうも言っていられません。
朝・晩の雪かきは欠かさずの日課になってしまいます。
辛いけど北国の宿命と諦めてするしかないですな・・・。
せめて今シーズンは雪の少ない事を願う私でした。
さて、今日はイタリアの人気ポップスグループ「Dirotta su Cuba」の紹介を。
最近気に入って聴いている曲はアルバム“JAZ”収録されている“L'iguana(イグアナ)”です。
ダンサンブルなビートに載せて演奏されるこの曲は、笑える(?)プロモーション・ビデオがあり、ホームページhttp://www.dirottasucuba.com/でもご覧になれます。
(サイドメニューにあるMUSIC PROMOをクリックして↓の画像をクリック)
歌詞はこんな感じです。
L'iguana sulla spiaggia
Mi prendo il sole in faccia
E mi disseto di blu
Vestito trasparente
Vedere sulla gente
Quale effetto che fa
Mi sento almeno
Due chili in meno
È una dote che l'estate mi da
Ma tra poco tutto questo finirà
Settembre non tornare
Non voglio lavorare
Che questa dolce vita è fatta per me
Settembre vai a fare
Mi voglio innamorare
La vita è bella finche ce l'hai
E vai e vai e vai
Seguire la corrente
Mi libera la mente
Come in un giardino zen
Corallo sulle labbra
Ti sembrerà morfina
Il profumo che ho
Ad occhi chiusi
A pelle nuda
Il senso della voglia di te
Ma fra poco tutto questo finirà
Settembre non tornare
Non voglio lavorare
Che questa dolce vita è fatta per me
Settembre vai a fare
Mi voglio innamorare
La vita è bella finche ce l'hai
E l'iguana non si tira indietro mai
Settembre non tornare
Non voglio lavorare
Che questa dolce vita è fatta per me
Settembre vai a fare
Mi voglio innamorare
La vita è bella finche ce l'hai
Ma l'iguana qualche cosa inventerà
ん~、笑える!(いずれ対訳も掲載考えています)
こんにちは、秋田杉です。
以前から気になっている事があります。
それは国名!
知っている国名を10挙げてみて下さい。
どこの国名が挙がりましたか?
日本と付き合いの深い(?)有名どころを例に挙げてみましょうか。
①韓国
②中国
③アメリカ
④カナダ
⑤ロシア
⑥フランス
⑦ドイツ
⑧イタリア
⑨イギリス
⑩ブラジル
適当に選びましたが、まあ大体こんな感じでしょう。
では、何が不思議かと申しますと
①~⑩をアルファベットにしてみます。
①韓国→KOREA
②中国→CHINA
③アメリカ→AMERICA
④カナダ→CANADA
⑤ロシア→RUSSIA
⑥フランス→FRANCE
⑦ドイツ→GERMAN
⑧イタリア→ITALIA
⑨イギリス→ENGLAND
⑩ブラジル→BRAZIL
と、いった風になります。
そう、末尾の母音がAで終わっている国名がとても多いんです。
今度は意識的に書き連ねてみましょう。
(英語表記に限定)
Albania -- アルバニア
Algeria -- アルジェリア
Angola -- アンゴラ
Argentina -- アルゼンチン
Armenia -- アルメニア
Australia -- オーストラリア
Austria-- オーストリア
Bolivia -- ボリビア
Bosnia and Herzegovina -- ボスニア・ヘルツェゴビナ
Botswana -- ボツワナ
Bulgaria -- ブルガリア
Cambodia -- カンボジア
Canada -- カナダ
China -- チャイナ(中国)
Colombia -- コロンビア
Costa Rica -- コスタリカ
Croatia -- クロアチア
Cuba -- キューバ
Dominica -- ドミニカ
Estonia -- エストニア
Ethiopia -- エチオピア
Gambia -- ガンビア
Ghana -- ガーナ
Grenada -- グレナダ
Guatemala -- グヮテマラ
India -- インド
Indonesia -- インドネシア
Jamaica -- ジャマイカ
Kenya -- ケニア
Latvia -- ラトビア
Liberia -- リベリア
Lithuania -- リトアニア
Malaysia-- マレーシア
Malta -- マルタ
Mauritania -- モーリタニア
Moldova -- モルドヴァ
Mongolia -- モンゴル
Namibia -- ナミビア
Nicaragua -- ニカラグア
Nigeria -- ナイジェリア
Panama -- パナマ
Papua New Guinea -- パプア・ニューギニア
Romania -- ルーマニア
Rwanda -- ルワンダ
Samoa -- サモア
Serbia -- セルビア
Slovakia -- スロヴァキア
Slovenia -- スロヴェニア
Somalia -- ソマリア
South Africa -- 南アフリカ
Sri Lanka -- スリランカ
Tonga -- トンガ
Tunisia -- チュニジア
Uganda -- ウガンダ
United States of America -- アメリカ
Venezuela -- ヴェネズエラ
Zambia -- ザンビア
英語表記で思い付くままに列記しましたので、もっと他にもある筈です。
(Italy -- イタリア、Russian Federation -- ロシア・・・等、英語表記で末語がAにならないものは今回除外しました)
では反対に末語がOの国は何処があるでしょうか?
Mexico -- メキシコ
San Marino -- サンマリノ
Monaco -- モナコ
Montenegro -- モンテネグロ
Trinidad and Tobago -- トリニダード・トバゴ
今、思い付く限りではこの位でしょうか。
そう、極端に少ないのです。
アメリカは発見者アメリゴ・ヴェスブッチの名前から付けられたと、学校で教わった記憶があります。
では何故、AMERIGO(アメリゴ)という国名にならないのでしょうか?
ラテン語名だってAmericus Vespuciusですから。
コロンビアだって発見者コロンブスの名前から付けられたと教わりました。
でもイタリア語名(本名)はCristoforo Colomboだし、
スペイン語ではCristóbal Colónだし、
ラテン語ではChristophorus Columbusですから、
コロンビアなんて末語がAで終わるのは不自然です。
アメリカ合衆国の州もAで終わる州がとても多いし、
アイオワ州
アラスカ州
アラバマ州
アリゾナ州
インディアナ州
ウェストバージニア州
オクラホマ州
カリフォルニア州
サウスカロライナ州
サウスダコタ州
ジョージア州
デラウェア州
ネバダ州
ネブラスカ州
ノースカロライナ州
バージニア州
フロリダ州
ペンシルバニア州
ミネソタ州
モンタナ州
ユタ州
ルイジアナ州
何だか政治的意図を感じる私です。
もしかしたら大航海時代に資金援助してくれた各国のパトロン(多くは女王)に敬意を表して(?)女性形の末語Aにしたのかな・・・?
どうでも良い事なのかも知れませんが、謎です。
昨日の映画ネタから考えました。
時代は移り行きます。
それに連れて街の景色も変わります。
それはそれで仕方の無い事と分かっています。
でも、ある意味とても寂しいものです。
私が子供の頃、毎回観るのを楽しみにしていた映画館は、現在全て閉館となりました。
「怪獣大戦争」、
「ガメラ対ギャオス」、
「大魔神」、
「ドラゴンへの道」、
「燃えよドラゴン」、
「ロッキー」、
「地獄の黙示録」、・・・などなど
思い起こせば数え切れない程の映画を地元、大館市で観ました。
その頃の映画館は市内に5ヶ所ありました。
夏休みや冬休みには、学校から割引券なんかも貰って意気揚々と駆けつけたものです。
大人も子供も映画が楽しみで、人気作上映となったらとても入り切らないほど人で溢れた時もありました。
それが、ビデオやDVDが普及して簡単に自宅で鑑賞出来る時代になると、まるで人気がなくなりました。
駐車場なんていつもガラガラです。
お客が入らないから当然収入は上がらず、
設備も老朽化して椅子が傷んでも修理さえ出来ません。
映画館の外見もドンドンひどくなり、コンクリートにもヒビ割れが目立ちます。
映画館好きの方々も次第に足が遠のき、
1軒、また1軒と閉館するようになって行きました。
そして、遂に最後の1軒となりました。
それも何時の間にか閉館となり、とうとう私の市から映画館は全て無くなりました。
今では一番近い映画館はお隣の青森県弘前市まで行かねばなりません。(片道50kmです)
勿論、私もテレビ放送される映画やDVDを観る事はあります。
(レンタルビデオは抵抗があって観る事は出来ませんが)
しかし、映画館で窮屈な椅子に座って、前の人の頭を気にしながら、大迫力の画面で、大音響で観る映画は一味も二味も違います。
やっぱり映画は映画館で観なくっちゃ!!
浅田次郎氏の小説にも「オリヲン座からの招待状」という京都の映画館を描いた小説があります。
この小説は大ヒットとなった「鉄道員」に併載されていますので、
お読みになった方も多いのではないか?と思います。
浅田節全開で分かっちゃいるけれど、泣かされてしまいます。
日本版「ニュー・シネマ・パラダイス」といったところでしょうか・・・。
移り行く風景、変わり行く街並み、空洞化して行くかつての繁華街・・・
少し寂しく感じる私です。
昨日Ub-Xのブログを拝見していましたら、
マイケル・ラドフォード監督作品「IL POSTINO」【イル・ポスティーノ】の記事を発見しました。
http://ub-x.txt-nifty.com/blog/2007/01/_ichi.html
この映画がお好きな様子で、ヨーロッパ映画ファンの私にとっては非常に嬉しいです。
マッシモ・トロイージ扮する、主人公マリオの純真無垢な心に打たれます。
そしてこの映画のクランク・アップ12時間後に心臓病で急逝したマッシモ・トロイージ・・・。
41歳でした。
イタリアを代表するコメディアンでもあった彼の若すぎる突然の死は、
多くの欧州人に悲しみを齎しました。
そんな彼の最後の演技は、彼の「人間性」、「優しさ」、「誇り」が滲み出ていて、
私達に残してくれた宝物の様な気がします。
漁師を拒み郵便配達人の仕事を選択したマリオは、
詩人であるパブロと出会った事から、
漁師の仕事の尊さを知り、
毎日何の変哲も無い退屈な島と思っていた島が実はとても美しいものだった事に気付き、
ベアトリーチェという女性に恋をする・・・。
そして時代は動き、時が経ち、
再び島を訪れたパブロはマリオの死を知る・・・。
結末としては悲劇的なのですが、
映画のテーマの美しさ、風景の美しさ、演技の見事さが相まって
見終えた感想はとても爽やかになれる珠玉の一本です。
(何だか「男はつらいよ」に通じるものを感じるのは私だけでしょうか?)
後で知った事なのですが、
この映画の撮影地はナポリ南西沖に浮かぶ島“プロチダ島”だったそうで、そんな事を全く知らない私はノーテンキに半日だけこの島を訪れた事がありました。
イタリア南部POZZUOLI(ポッズウォリ:ソフィア・ローレンの故郷として有名)に行った時、
気紛れに船で訪れました。
とても小さな島でしたが、欧米人には人気があるみたいで、
観光客と思わしき方々も結構多かった記憶があります。
もしかしたら、この映画「イル・ポスティーノ」に憧れて来た人達だったのかも知れません・・・。
プロチダ島を訪れたのがこの映画を見る前だったか、
後だったかは覚えていませんが、
ベアトリーチェの酒場には行ってみたかったな!
今ではその事が悔やまれてなりません。
島は映画同様に美しい自然が残り、
ゆっくりと時間が流れ、
住民は各々の生活を楽しむ・・・、
そんな印象の島でした。
それにしてもイタリア・コメディアンはこのマッシモ・トロイージ然り、
ロベルト・ベニーニ(ライフ・イズ・ビューティフルでアカデミー主演男優賞受賞)然り、
どうしてあれ程人の心を掴む良い演技が出来るのでしょうか?
本当に感心します。
さて、「イル・ポスティーノ」と同様の展開を持つイタリア映画の古典的名作と言ったら・・・、
何と言ってもフェデリコ・フェリーニ監督作品「LA STRADA」【道】でしょう。
粗野で野蛮な「ザンパノ」と
知的障害者「ジェルソミーナ」が旅芸人として、
イタリア各地を回り、
その旅の途中でザンパノはジェルソミーナを置き去りにして捨てて行きます。
それから時が経ち、ある町でジェルソミーナが口ずさんでいた歌を聴いたザンパノは、
ジェルソミーナが悲劇的な死を遂げた事を知り・・・、
と言った展開です。
「道」の音楽は確かニーノ・ロータだったと思います。
この音楽も何処と無く郷愁を誘う感じで良いです!
薄幸の人生を送ったジェルソミーナに涙するか、
不器用で後悔だらけの人生を送るザンパノに涙するか?
それはこの映画を観る方次第です。
「イル・ポスティーノ」を見て未だ「道」を見ていない人は是非、「道」もご覧下さい。
色んな共通点や面白い発見があると思います。
あ~、まだまだ書きたい事がありますが、また次回にします!
昨日の記事「シチリアへの憧憬・・・その3」の続きです。
タオルミナで一晩過ごした翌朝は爽やかな朝を迎えました。
天気は快晴、気温・湿度とも文句なしの絶好の朝です。
ホテルのオープンテラスで朝食を取った後は、お目当てのギリシャ劇場へと向かいます。
フロントでギリシャ劇場の場所を聞くと、何とホテルの背中にあるそうです。
(歩いて30秒~1分)
開場と同時に入場し、またも絶景のロケーションに感激して、
ぼんやりと「この劇場ってギリシャ劇場と言うくらいだから、ギリシャ統治時代の建造物だよな・・・」、
「って事は紀元前か!」、
「今から2000年以上前にあの急な丘を登って、この劇場を建設したっていう事か?!」、
「・・・・・・・・・」
と余りのスケールの大きさに圧倒されて、ただ平伏すのみでした。
エトナ山の方に目を向けると、
「エッ!何あれ!」と目を疑いたくなる建物がありました。
遥か遠くの山の中腹に白い建物が・・・。
後で聞いたらそれは城だそうで、その周辺にもカステルモーラという町があるそうです。
その町にはタオルミナの旧市街地への道よりもっと細い道をバスが通っているそうで・・・。
話を聞いているだけで頭がクラクラして来ました。
この丘の上に石造りの町や劇場を築いただけでも圧倒されているというのに、
更にこの先の山にも城と町を築いたというのか・・・。(絶句)
いやはや何ともスケールの大きいと言うか、
古代人の情熱と言うか、
言葉が見つからないままギリシャ劇場に寝そべる私でした。
さて、タオルミナに圧倒されて満喫した(?)私は、
11:00のバスでカターニャに移動するべく昨日到着したバスターミナルへ向かいました。
バスは11:00定刻通りに一路カターニャ空港に向けて出発です。
所要時間は1時間20分。
タオルミナの坂道を下り、駅前を通過して、タオルミナとエトナ山を後にしました。
ほぼ定刻通りにカターニャ空港にバスは到着し、
ナポリ空港へ出発するために搭乗手続きをしていたら、
係員が済まなそうな顔で、
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
係員「お客様、誠に済みませんが整備に不具合がありましたので出発は1時間遅れになります。よろしいでしょうか?」
と聞いてきました。
私「仕方ないですね。分かりました。」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
と答えるしかありません。
手続きを済ませて、出発ロビーでビールでも飲んでユックリしようかな?
と考えていた私は手荷物検査を通過してロビーへと向かったのですが・・・。
そこは人、人、人で立錐の余地も無いほど溢れかえっていました。
「何じゃ、こりゃ~ッ!」と、思わず故松田優作口調になり、呆然とする私。
聞けば2時間待ちの人も多く、皆疲れて諦めムードが充満していました。
「んまァ~、最後にまたしてもシチリアにやられてしまった!」、
「こんな事だったら船にすりゃ良かった!」と、
秋田生まれの東洋人は嘆くのでした。
ようやくナポリ行き搭乗アナウンスが鳴って搭乗出来ましたが、
時間は1時間30分遅れでした。
ナポリ空港に降り立ったら、そこは雨。
雨のナポリです。
空港からバスに乗って市内へと向かったのですが、未だホテルを決めていませんでした。
ナポリもこの時が初めてでしたが、「まあ、中央駅周辺であれば何とかなるだろう」
と考えて駅前に向かいましたが、
このバスの運転手が凄い!
前の車との車間距離を殆ど開けずにビュンビュン飛ばして運転します。
(私には前の車を煽っている風にしか見えませんでした)
そして通行人も凄い!
横断歩道なんて洒落たものはナポリに無いから、
高速で走行する車と車との僅かな隙を見つけて、ダッシュして道路を横断します。
殆ど自殺行為に近いです。
スリリングなドライブを楽しんで(?)バスは終点、ナポリ中央駅に到着しました。
傘も無くコートの襟を立てて、シトシト降る雨に濡れながらホテルを探して、
駅近くのカブールと言うホテルに宿を取りました。
「あ~っ、やっとこれで一安心!」と思い、荷物を部屋に置いて夕食に出かけました。
「ここはピィッツァの本場ナポリ。やっぱピィッツァしか無いでしょう!」と、
ピィッツァ屋を探して市内をうろつき、それらしき店を発見しました。
店名はDa Michele(ダ・ミケーレ)。
店前は入店待ちしているお客もいて、なかなか繁盛している様子です。
暫く待った後、入店しましたが、メニューは2品のみ。
至ってシンプル!
ピィッツァ・マルゲリータとビールを注文して、ほんの2~3分で直径30~35cmはあろうか
(メジャー持参していなかったから、あくまで目測ですが)
という巨大ピィッツァがテーブルに置かれました!
すんごい迫力です。
こんなもん食べれるのか?と思ったのですが、食べれました。(笑)
大きいのに意外とあっさりしていて、トマトソースが美味しく、サクサクとスナック感覚でいけてしまいました。
ビールとの相性もバッチリで、お腹一杯になり、
小降りになった雨の中をホテルへと踵を返す私でした。
ホテルが近くなるにつれて、何だか嫌な雰囲気になってきました。
もうそろそろ夜10:00です。
にも拘らずナポリ人は元気なのです。
もっと分かり易く言うとウルサイのです。
ナポリ中央駅前はロータリーのようになっていて、車がひっきりなしに通るのです。
そして、皆がやたらとクラクションを鳴らし立てるのです。
“キュキュキュ~”と急発進でタイヤが摩擦する音、
“キーッ”という急ブレーキの音、
“ビッ、ビッ、ビ~ッ”、“パホパホ~”というクラクションの音、
“ウィ~ン”というパトカーのサイレンの音、
“ピーポー、パーポー”という救急車の音、
“ってやんで~、バッキャロ~”という酔っ払いの罵声や怒号・・・、
これらが全てミックスされて延々深夜まで続くのです。
ようやく静かになって眠りに就けたのはAM3:00を回っていました。
フウ~、暫し休息・・・。(寝)
でも朝7:00には元気な(うるさい)ナポリの復活でした!
翌日は2000年の封印から目覚めたポンペイ遺跡、
ナポリ以外では経験出来ないナポリ人の摩訶不思議行動に再びカルチャー・ショックを受ける事になるのですが、
その話は後日に。
ところで、秋田は雪が降っていません。
このままではもう時期開催される冬の国体が心配です。
1/2の記事「シチリアへの憧憬・・・その2」の続きです。
TAORMINA(タオルミナ)、何と甘美な響きでしょう!
今日はそのタオルミナでの出来事を書きます。
アグリジェントからパレルモに無事帰還を果たした私は翌日タオルミナに向かいました。
出発は午後にしましたので、それまでパレルモで未だ行っていなかったカタコンベ(骸骨寺)へ足を向けました。
ここのカタコンベの正式名称はCatacombe dei Cappuccini【カタコンベ・デェィ・カップチーニ】と言い、
映画「ツイン・ピークス」のモデルとなった2歳の女の子「ロザリア」のミイラがある事で有名です。
パレルモ市街から外れにあり、バス移動&徒歩で到着しました。
観光客が多くガヤガヤした入り口周辺とは違い、中はヒッソリとしています。
地下に降りて行くと、壁や床に両手を前に組んで頭を垂れた骸骨が展示(?)されていて、何やら不気味です。
何だか“いらっしゃいませ”とお辞儀されているみたいです。
カタコンベ・デェィ・カップチーニと言う名称ですので、骸骨は恐らくカプチン派の修道僧なのでしょう。
お目当ての「ロザリア」は一番奥の小さな棺の中に安置されていました。
1920年代から安置されているそうですので、生きていれば相当なお婆さんです。
保存状態は良好でとてもミイラには思えません。
頬はピンク色で、頭に白いリボンを付けていて、まるで本当に眠っているかの如くです。
「・・・」
暫し固まってあれこれ空想に耽る私でした。
カタコンベ・デェィ・カップチーニを出て、
市街をブラブラしながらパレルモ中央駅近くでシチリア名物「アランチーニ(ライスコロッケ)」に舌鼓を打って、
いざタオルミナへ出発です。
旅は各駅停車の電車が最高です。
電車に乗り合わせた現地住民の生の声、生活の声が聞けます。
この時は途中で中学生と思しき学生が大挙して乗り込んで来ましたので、シチリアの学校の話、女の子の話、社会の話が聞けました。
何しろイタリア人です。周りの迷惑を考えず(?)大声&ゼスチャー付きで話しまくります。
そうこうしているうちに電車は沿岸をひた走り、名も無い様な漁村の駅(これがまた良い!
映画「ニュー・シネマ・パラダイス」や「マレーナ」のロケ地か?と思わせる程、シチリア情緒タップリです!思わず途中下車してトト少年を探しに行きたくなる雰囲気です)を通過して、目的地タオルミナに到着しました。
この時点で私にタオルミナに関する予備知識は、ほぼ皆無でした。
ただギリシャ劇場がある風光明媚な地らしいと言う事だけです。
勿論、ここが映画「グラン・ブルー」のロケ地という事も知らねければ、
世界中からお金持ちが集る高級リゾート地である事も知りませんでした。
電車を降りて駅構内を通過して表に出ると、
「エッ!?」、「こ、、、これがタオルミナ!?」
と絶句してしまう程、殺風景で何もありません。
思わず後ろを振り返って駅の看板を確かめると、確かに“TAORMINA GIARDINI”と書いてあります。
「で、これから一体どうすりゃ良いの・・・?」と暫く考えて、駅の隣にあるイタリア版キオスク(そんな立派なお店ではないけど)に相談しに行きました。
人気の無い店に入って
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私「すいません、どなたかいますか?」
店「・・・・・・・・・・・・・」
私(もっと大声で)「すいません、お願いします!」
店員「・・・、あいよ~」(余りに暇なので寝ていた様子)
私「すいません、観光で来たのですがギリシャ劇場にはどう行ったら良いのですか?」
店員(面倒くさそうに)「バスかタクシーで行きゃいいさ」
私「バスは何処から出ていますか?」
店員「この駅前から出てるよ。切符はここで買っておくれ。」
私「じゃ~、お願いします。」
店員「・・・」(無言で何やらゴソゴソ)
白い紙を無造作に取り出して、バチンと刻印して
店員「はい、切符。」
そこには青いインクで何やら切符らしき文字が刻印されていました。
店員「それを乗車する時に運転手に渡せばOKさ。」
私「・・・」
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現代生活に慣れてしまい、綺麗にデザインされた印刷物を当たり前の様に見慣れた私にとって、そのプリミティブな切符は衝撃的でした。
キオスクを出て駅前でポカンとバスを待っていたら、何やら見覚えのある顔が・・・。
そう、昨日アグリジェントのバスで一緒になったスイス人夫婦が歩いていたのです。
向こうも駅前で所在無さげに立ち竦んでいる東洋人を発見したらしく、
スイス人夫婦「お~い、君!」
私「あッ、ど~も!」
偶然の再会にお互い驚き、暫し立ち話&情報交換をしました。
何でもこのスイス人夫婦は昨日のうちにタオルミナ入りし、これから一週間のんびりと滞在して、イタリア本土を縦断してスイスに帰るそうです。
夫婦はここタオルミナを絶賛していましたが、カルチャーショックを受けたばかりの私にはこの時点でタオルミナの良さを到底理解出来ませんでした。
情報によると、タオルミナ旧市街はこの駅の遥か上、丘の上にあるそうで、ギリシャ劇場もそこにあるとの事でした。
※ このスイス人夫婦から聞いて初めて分かったのですが、現在この夫婦が暮らしているスイスの地区ではフランス語とドイツ語、英語が公用語だそうです。
夫婦が学生だった頃はフランス語とドイツ語だけで、英語は公用語ではなかったそうです。
そのためこの夫婦は全くと言って良い程、英語が話せません。
私の方は丸っきりドイツ語が話せませんので、夫婦との会話は全てフランス語で行われました。
現在、学校ではフランス語の授業は無く、フランス語が得意な夫婦はフランス語が話せない孫とのコミュニケーションに四苦八苦しているそうです。
多言語国家の複雑な事情を垣間見る事が出来ました・・・。
そうこうしている間に、バスは駅前に到着し、スイス人夫婦の旅行の無事を祈願し、別れを惜しんでバスに乗り込みました。
そして先程キオスク(?)から購入した切符を運転手に渡すと、片手に持ったパンチャーで“パチン”と中に穴を開けて私に返しました。
これが使用されたという証なのでしょう。
「えッ!・・・」と呆気に取られている東洋人を無視してバスは走り始めました。
そう、確かに原理的にはどんな形であれ、支払った代金に見合ったサービスを提供してくれれば問題はありません。
例えそれが向こうが見える程薄いペラペラの白い紙を手で作った乗車券であれ、
例えそれが人力パンチで穴を開ける証明であっても・・・、
それで通用しているルールであれば、それで良いのです。
そんなシンプルな事を改めて認識させてくれた数時間でした。
(それにしても、衝撃的でした)
衝撃的なバス乗車券はこれだ!
バスは旧市街を目指してドンドン丘を登って行きます。
バスの車窓から見える景色は青いイオニア海が、空の青さと競い合って何処までも続いています。
1月初旬だというのに、この陽気は秋田生まれの私には反則技にも思える程です。
丘を登るにつれて道幅はますます狭くなって行きます。
フト路肩を見ると、
「エッ!」、ガードレールがありません。
乗用車同士の対面通行もままならない程の狭さなのに、「落ちたらどうなるの?」といった東洋人の不安をよそに、運転手は鼻歌交じりでビュンビュン飛ばして丘を登って行くのでした。
程なくしてバスは少し広い場所に到着しました。
運転手「え~、皆さん。大変お疲れ様でした。只今バスはターミナルに到着しました。どなた様もお忘れ物無きよう、お気を付けてお降り下さい。」
「えッ!、ここがターミナル、終点なの!?」と思ったのですが、乗客は皆下車しましたので仕方なく私もバスから降りました。
バスターミナルにはタクシーと思わしき車が数台待機しています。
その全てが何とメルセデス・ベンツです!
一緒にバスから下車した乗客はベンツタクシーに荷物を積み込み、何処かへ消えて行きます。
貧乏東洋人の私にはベンツタクシーなんぞ恐れ多くて、とても乗車出来ません。
かくなる上は、徒歩しかありません!
土産でパンパンになったスーツケースを“ガラガラ”音を立てて、石畳の丘を登って行きました。
途中、通行人の好奇の目が注がれるのも気にしないで、ひたすら丘の上を目指して歩いて行きました。
歩く事凡そ15分、ようやく旧市街らしき場所に到着です。
タオルミナ旧市街の入り口であるポルタ(門)をくぐると、そこは大勢の観光客で賑わう広場でした。
広場の一角にタクシー乗り場があり、そこでドライバーにホテルの場所を尋ねると、目の前の道を真っ直ぐ行った突き当りとの事。
そこから約1分でタオルミナ滞在ホテルであるTIMEOにやっと辿り着きました。
入り口付近から見るホテル外見は鬱蒼とした蔦で覆われていて、何だか怪しい雰囲気が漂います。
しかし、一歩中に入ったらそこは別世界(!)、高級感一杯の超デラックスホテルでした!
フロントの女の子は可愛いし、教育が徹底されています。
貧相なジーパン姿の東洋人には似つかわしくない、そんなホテルです。
チェック・インを済ませて部屋へ移動する時も、その女の子が帯同してくれて、部屋の説明もしてくれました。
そして窓を開けてバルコニーへ出ると、
右に旧市街を抱えたエトナ山、
左には湾に沿って何処までも青く延びるイオニア海・・・。
絶景です。
こんなパノラマが存在する事が信じられません。
暫し、絶景を堪能し俗世間から逃避しておりましたが、
お腹は“グウグウ”と鳴り、俗世間行きを要求してきます。
「よ~し、そろそろ飯にしよう!」とホテルを出て、旧市街へと向かいました。
「確か先程くぐったポルタの傍にレストランがあった筈」との記憶を頼りに歩いて行くと、ありました、ありました。
(店の名前はTOROCADERO、ポルタ・メッシーナの直ぐ右側のレストランです)
席に案内されメニューを見て、
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私「Senta, Posso ordinare questo piatto? Mmm・・・, spaghetti ai ricci di mare.」【すみません、ん~と、ウニのスパゲッティをお願い出来ますか?】
カメリエーレ「Si, ma da bere?」【はい、飲み物は如何なさいますか?】
私「Avete vino casa?」【ハウスワインはありますか?】
カメリエーレ「Si, certo.」【はい、ございます。】
私「Allora, lo prendo, grazie.」【じゃ~それを下さい。】
カメリエーレ「Subito.」【直ぐにお持ちします。】
私「Ah・・・, Un momento, Mmm・・・, Ho una fame da rupi, doppo gli spaghetti, anche un piatto di scaloppine al limone per favore.」【あ~、ちょっと待って下さい。ん~と、物凄くお腹が空いているので、スパゲッティの後に子牛のレモン風味ソテーも下さい。】
カメリエーレ(少しニヤけて)「D’accordo!」【かしこまりました!】
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カメリエーレの笑いが少し気になったのですが、
運ばれて来たワインを飲みながらここタオルミナの事を考えてみました。
思うに「タクシーは全てベンツだし、イタリアの国民車フィアットは皆無だし・・・」、
「ホテルは超豪華で部屋の床は大理石だし・・・」、
「ガラガラ音を立てて鞄を引きずっている観光客はいないし・・・」、
「浮ついた観光客は少なく、紳士淑女が多いし・・・」、
「もしかしたらタオルミナって世界中のお金持ちやセレブ達が集る場所なのではなかろうか?」
と事前に下調べをしなかった事を反省しているうちに、頼んだウニのスパゲッティがテーブルに運ばれて来ました。
私「えッ!・・・、何これ!」
ようやく先程カメリエーレがニヤけた意味が分かりました。
物凄い量です。
ザッと350~400グラムはあるであろうスパゲッティです。
普通日本で出される量の3~4倍はあります。
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カメリエーレ「Buon appetito!」【ごゆっくりお召し上がり下さい!】
私(思いっ切り慌てて)「Ah・・・, S, Scusi, doppo di mangare questo piatto, io non posso mangare di più. Cacellare il piatto di scaloppine al limone, per favore.Mi scusi!」【あ~ッ、す、すみません、このスパゲッティを食べたら、も、もうギブアップです。さっきの子牛のレモンソテーはキャンセルして下さい!済みません!】
カメリエーレ(してやったりの表情で)「D’accordo!」【かしこまりました!】
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と、完敗宣言して店を後にしました。
如何にお腹が空いていようが、そこは東洋人の悲しいところ、あの量にはなかなか勝てません。
でもウニの味はとても良く、少し塩気の多いシチリアのスパゲッティとはとてもマッチしていました。
ワインとあの量のスパゲッティではリーズナブルな値段で、大変満足&満腹して夜の旧市街地へと探索に出かけました。
※ 後日シチリア人にウニの話をしたら、「ウニの味が分かるのはシチリア人と日本人だけだ!」と、大いに盛り上がりました。(本当かな?)
夜のタオルミナ旧市街は日中と違い、
ボンヤリとしたオレンジ色の街灯と商店からの明かりが映し出されて、落ち着いた雰囲気の表情を見せます。
歴史を感じさせる教会、
人々が憩う広場、
観光地化されていない路地に足を踏み入れれば、そこは中世さながらの趣きを残しており、 濃密な時間を過ごした今日一日に想いを馳せる私でした。
(本当にカルチャー・ショックも相当受けて、優に一ヶ月分に相当するのではないか?と錯覚するほどの濃い一日でした)
さて、翌日はシチリア最終日。
イタリア本土へ上陸するとまたもカルチャー・ショックを受けるのですが、その話は後日に。
今日の曲はそのものズバリ!TAORMINA【タオルミナ】
作曲と演奏:秋田杉
(殆どがアドリブ部分ですが)お楽しみ下さい。
ところで、本日私は2007年初釜家族茶会を開きました。
今年初のお茶も上手く立てる事が出来て満足です。
綺麗に立てたつもりの抹茶
飲み跡もスッキリ!
お茶菓子は今年の干支である猪をあしらった羊羹と
良く分からない和菓子です。
今年は良い年である事を願っています。
今日は1月4日。
今日から初出勤という方も多いのではないでしょうか?
新聞、テレビ、ラジオも今日から通常の構成になって、“新年ボケを正さねば”と感じる方も多いのではないでしょうか?
私も午前中に銀行へ行って参りましたが、駐車場に車が入り切らないほど人で溢れ返っていました。
正月3ヶ日ATMは稼動しているとは言え、振込みやら為替やらの窓口業務対応を待っている人があれ程いたと言う事なのでしょう・・・。
2007年の経済活動も盛んな様子で、ある意味「ホッ」としました。
さて、私が子供の頃の正月遊びと言えば、
「凧揚げ」、「コマ回し」、「双六」、「羽子板」、といったローコスト且つアナロググッズが大半でしたが、
時代も移り変わり、現在ではプレステ3に代表されるテレビゲームが主流となっている様です。
お年玉を手にした子供達は男女問わずにオモチャ屋に走り、目当てのハードやソフトをゲットするみたいです。
それはそれで構わないのですが、日本古来の伝統的遊びが無くなっって行くみたいで、一抹の寂しさを感じます。
せめて正月だけでも日本古来の遊戯に親しんで欲しいと思うのは私だけでしょうか・・・?
今日弾いたギターはこれ!
エレアコ仕様なのですが、アンプに通した事は殆ど無く、生音をマイクで収録する事が多いです。
音も徐々にこなれて来てボチボチ良い子になって来ましたが、
冬場は寒暖の差が大きいためピッチコンデションに難があり、
大事に労わってあげなければなりません。
今日はこの子で打ち込みシーケンスをバックにボサ・ノバ三昧してみました。
(いつか編集して公開したいと考えておりますが・・・)
秋田の寒さもこれからが本番!
風邪やノロウィルスに気を付けて冬を乗り切らねば。
皆さんもお気を付けて!
今年の正月は雪が降っていません。
正月に雪かきをしないなんて、何年ぶりの事でしょう?
昨年は18豪雪だったし、その前年も確か雪かきはしたしな・・・。
何れにせよ、降らないに越した事はないので、このまま一日でも長く降らないで欲しいものです。
(スキー場関係者は困っているでしょうが・・・)
この雪かきなるモノ、実に地味で疲れる作業です。
北国に暮らす者の宿命ではありますが、通り道を作るためひたすら雪を寄せなければなりません。
屋根に降り積もった雪はそのままにして放置しておくと、雪の重みで屋根が潰れてしまうため、必ず雪降ろしをせねばなりません。
その降ろした雪の処理もまた大変です。
毎夜深夜~早朝にかけて道路に除雪車が出動するのですが、朝目を覚ますと家の前に除雪された雪が山積みになっています。
昨晩降り積もった雪と、この除雪車から排出された雪を処理しなければ自家用車が出せません。=出勤出来ません。
冬の朝はザッとこの雪かきを済ませてから出勤です。
帰宅した後、本格的な雪かきをして翌朝に備えます。
冬は寒いからといって惰眠を貪る訳には行かず、
早めに起きて外の様子を見てからどの程度雪かきをするか?
どの位余裕を見て出発するのか?決めなければなりません。
市の除雪費用もバカなりません。
私の暮らしている大館市の17年除雪費用は6億6千7百万円(!)
でもこれって仮に冬期間66日除雪出動するとして、一日の除雪費用が1千万円って事ですよね・・・。
風流さは無いけれど、やっぱり雪の無い冬が良いです。
今日はこの曲で。
ドビュッシー作曲:沈める伽藍
「debussy_la_cathedrale_engloutie.mp3」をダウンロード
とっても音楽的にカッコ良いと感じる曲です。
シンプルなんだけど美しさと力強さがあって・・・、
そしてこの曲を聞くと、何故か夕暮れのオレンジ色に染まるサクレ・クール寺院を思い出してしまう私です。
昨年12/29の記事「シチリアへの憧憬・・・その1」の続きです。
2002年元旦、イタリアはシチリア島、パレルモにて二日酔いと寝不足で元旦を迎えました。
意識が朦朧として、足元はフラフラと覚束ない状態で、どうにかパレルモ中央駅に辿り着きアグリジェントまでの二等席切符を購入して、イザ出発です。
と、言っても寝不足&二日酔い状態なのでアグリジェントまではひたすら寝るだけです。
電車は順調にアグリジェントに到着して、少しだけ体調が回復した私は駅構内を出て、駅前にある停留所で遺跡行きのバスを待っていました。
待っていました・・・。
ジッと、待っていました・・・。
辛抱強く待っていました・・・。
そろそろ待ち始めてから2時間・・・、ひたすら待っていました・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
しかし、いくら待ってもバスは来ません。
流石に頭に来ました!
駅にある案内所の係員に二日酔いの酒臭い息を吹きかけながら、
「一体どうなっているんだ!もう2時間も待ち続けているんだぞ!」と、
怒鳴り込んだらあっさりと、
「今日は元旦だよ、仕方がないじゃないか。元旦早々カリカリしなさんな。まあ、今日中にはバスは来るさ!」
と、南国特有のお気楽リアクション・・・。
そう、ここはシチリア。
ヨーロッパ最南端の地、時間と約束はあって無いようなもの。
東洋人がジタバタ一人で喚こうが、どうにもならない南国気質。
「まな板の上の鯉」の心境で“なるようになるさ”と、諦める事が肝心です。
さて、クレームも一蹴されて再びバス停に戻ったら、バスを待つお仲間が増えていました。
聞けばスイスからやってきた夫婦だそうで・・・、
バスを待っている間中、シチリアの南国気質についてお互いに文句を言い合っていました。
そうこうしている内に、遺跡行きのバスがようやく到着しました。
スイス人夫婦共々バスに乗り込み、ようやく出発です。(長かった~ッ!)
駅前ロータリーを抜けて、少し下り坂道になっている道路を走ると、そこはもう別世界です!
映画の1シーンです。
雰囲気では「アラビアのロレンス」の砂漠の色、と言うのでしょうか?
あの映画全体を彩る黄土色で建物が出来ている。そんな感じです。
パレルモより遥かに南に位置し、晴れた日にはアフリカ大陸が見えるらしいアグリジェントはヨーロッパというよりはモロッコや、チュニジアといったアフリカの匂いがします。
バスは順調に町を走り抜けて、遺跡へと到着しました。
遺跡に到着してビックリ!
人・人・人・・・、凄い人数です。
「一体、あんた達はどうやってここに来たの?」と聞きたくなります。
駅前には2時間以上も前から私がいましたので、電車→バスのルートではありません。
今もって不思議でなりません。
さ~て、バスから降りて真っ先に目指したのは「コンコルディア神殿」。
憧れの神殿を早く目にしたいという焦りを押えて、坂道を登って行きます。
暫くすると目の前に巨大な神殿が・・・。
“ん~、これが紀元前にこの地へ移り住んだギリシャ人によって建てられた神殿か・・・”
凡そ2400年前の建造物が現存していて、恰もつい昨日まで神事が行われていたかの様な圧倒的リアル感があります。
(これ程の状態まで良い保存をするためには、並々ならぬ努力が必要だと思います。遺跡関係者の方々に感謝します。)
天気も良く、風も穏やかだったため、地中海と市街地を見下ろすこの神殿脇で暫し瞑想に耽っていたら
「日頃の悩み事なんてどうでも良い、取るに足らない事」に思えてくるから不思議です。
(本当は二日酔いが治まっていくのが気持ち良いだけ・・・)
ジュノーネ宮殿、エルコレ神殿と見学して充分アグリジェント遺跡を満喫して、通り掛りのホテルのフロントでタクシーを頼んで駅に戻りました。
(タクシーはメーターが無く、料金はドライバーと交渉です)
その後1つ、2つトラブルはあったもののアグリジェント駅を出発した電車は無事パレルモ中央駅へと到着しました。
翌日は映画「グラン・ブルー」でも有名なタオルミナへ出発です。
タオルミナの話はまた次回に・・・。
新年2曲目も元気の出る曲が良いですね。
ブギウギです。
曲:C'è domani
お楽しみ下さい。
※昨年~正月雪かきをしていません。こんな最高の正月は何年ぶりでしょう・・・?
皆様、新年明けましておめでとうございます!
今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
さて、「一年の計は元旦にあり」と言います。これは元々、
一日の計は朝にあり
一年の計は元旦にあり
十年の計は樹を植えるにあり
百年の計は子を教えるにあり
この四句の二行目の句だそうです。
意味深な言葉で何となく私は好きなのですが、何を言わんとしているのか?不勉強な私には分かりません。
ただ、“元旦は大事なのだ”と言う事は何となく分かります。
さて、その元旦を皆さんはどの様にお過ごしでしょうか?
昨晩の大晦日パーティの余韻をそのまま引きずって、二日酔い状態でオトソを飲んでいる方・・・、
日頃の睡眠不足を補うべく爆睡し、寝正月を決め込む方・・・、
普段はなかなか出来ない家族サービスに勤しむ方・・・、
はたまた、昨年の仕事を家に持ち込んで、元旦早々仕事に勤しむ方・・・
OKです!OKです!
そして、ご苦労様です。
私達はそんな皆さんの頑張りに支えられてこそ、生活出来るのです。
陳腐な言い方ではありますが、一人一人の個人の力は微弱です。
如何に世界トップクラスのピアニストであっても、弦が切れた、収音マイクが落っこちた、停電になった・・・、こうなっては余程のピアニストでない限りどうしようもありません。
ただただ狼狽するだけか、何とかその場を取り繕うのが関の山でしょう。
(私の場合は笑ってごまかす)
中には忍法“知らん振り”と言う荒技で乗り切る御仁もいるみたいですが・・・
(未だ免許皆伝に至っていない私には残念ながら使えません)
沢山の方々の働きやサポートがあってこそ、どんな困難も克服出来るし、対処・対応出来るのです。
かのフランス革命も群集の力を結集したからこそ、成し得た結果なのでしょう。
皆さんの普段の絶え間ない努力があるからこそ、当たり前の様に私達の生活が成り立っているのです。
私はその事に感謝の意を新たにする今年の元旦となりました。
どうぞ、皆さん今年も健康で元気に頑張りましょう!
そして、新年一発目はこの曲で。
私の母校の校歌をジャズ風ワルツにしてみました。
今回は元旦らしくステレオで公開します。
作曲:東儀鉄笛、編曲&全楽器演奏:秋田杉
お楽しみ下さい!
※大晦日プライドに出陣した田村潔司はカッコ良かったな!
あのカウンターのヒザは、もう芸術品の域に達しているのでは?
それにしてもどうして秋田にはTBS系列のテレビ局がないの!
毎回HERO'Sが見られないではないか!(怒)
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