最近のニュースから
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不適切な会計処理が問題になっている日興コーディアルグループは24日、有村純一前社長ら旧経営陣3人に対し、総額約30億円の損害賠償を求める方針を固めた。~中略~損害賠償を求めるのは、有村前社長のほか、山本元・前財務担当常務と不正経理の舞台となった子会社、日興プリンシパル・インベストメンツの平野博文前会長の2氏。・・・
これを読んだ我が家族は、「プリンシパル・インベストメンツって何?」
私:「主要な調査かな」
家族:「じゃ、日興主要調査(株)にすりゃ分かり易いくて良いのに!」
私:「・・・」
そうですね、何でもかんでも横文字が良い訳じゃありませんよね。
どうもここ最近、私の目には不要にしか思えない横文字(多くは英語)が飛び込んで来ます。
例を挙げると、
アルピニスト・・・登山家でいいじゃない!
アーカイブス・・・公文書、公文書保管庫でいいじゃない!
ウィンウィン・・・両者順調でいいじゃない!
マジョリティー・・・多数派でいいじゃない!
エグゼクティブ・・・重役、上級管理職でいいじゃない!
TOB・・・公開株式買付けでいいじゃない!
どうして態々横文字に置き換えなければならないの!
私には残念ながら理解出来ません。
そう言えば、先日「カーザ・アングレ(CASA ANGLAIS)」なる建物を見つけましたが、英語好きの日本人はどうして「イングリッシュ・ハウス(ENGLISH HOUSE)」という名称にしなかったのでしょうかね・・・?
どうして、ラテン語系とフランス語のゴッチャ混ぜになったのでしょう・・・?
私的に一番好きな言い方は「英国家屋」ですがね!
大体私そのものが日本語の意味すら、まともに理解出来ていないのですから・・・。
<先日知った言葉>
姑息(こそく)
さて、一体どの位の方がこの言葉の意味を正確に理解して使っているのでしょう?
よく“あいつは姑息なヤツだ”とか、“姑息な手段を使って生き延びた”なんて言いますよね。
でも実際には「姑」は暫く、「息」は休むの意から、一時の間に合わせにすること、
またはその様、一時のがれ、その場しのぎ
という意味です。
皆さん正しく使っていましたか?
横文字も大事かも知れませんが、その前に先ず日本語でしょ!
そして、こちらも先日の新聞から・・・
一人また一人と住民が集落を去っていく。
地域に残った人たちは齢を重ね、お年寄りばかりに。
学校はとっくに廃校。
かやぶきの廃屋が点在し、耕作放棄された田畑は荒れ放題。
過疎・高齢化が進む全国の山あいで、このような集落が増えている。
農作業や冠婚葬祭など共同体としての機能が維持できなくなるため「限界集落」とも呼ばれ、多くは消滅の運命をたどってしまう。
国土交通省の調査では、いずれ消滅する恐れのある集落は全国で約2600、このうち約400集落がこの10年以内に消滅する可能性があるという。
65歳を超す高齢者が過半数の、いわゆる限界集落も約7800あった。
日本の国土計画の基本だった全国総合開発計画では「国土の均衡ある発展」がうたわれてきた。
しかし均衡どころか、社会のあらゆる面で格差が拡大したのが実際ではなかったか。限界集落はその極点と言っていい。
日本の原風景でもある里山にある集落。
それが次第に消えていくことは、地域が受け継いできた独自の伝統と文化を少しずつ失ってしまうことにほかならない。
時代の流れとはいえ、それを防ぐ手だてはないものだろうか。
生まれた土地があり、育った家がある。
住民が助け合い、今も維持されている山あいの集落は県内に幾つもある。
住民にとって歴史・文化的アイデンティティーのよりどころでもある集落に使われる「限界」という言葉の響きが、どこか切なく、やりきれない。
秋田魁新報北斗星(2月24日付)より
ん~、考えさせられる記事です。
確かに私の住んでいる市も合併で見かけ上は大きくなったかも知れませんが、確実に人口は減少していますし、嘗ての中心商店街もシャッター・ストリートと化し、少子高齢化・街の空洞化・新税の導入など様々な問題が山積しています。
秋田県内でも少し車で走ると、新聞に載っている限界集落を簡単に目にする事ができます。
何事も“栄枯盛衰”、“偏に風の前の塵に同じ”扱いをされるのは悲しくてなりません!
※それにしても秋田は雪が無い!今年は屋根の雪降ろしを一度もしておらず、現在屋根には積雪ゼロ。カラッカラッ状態で~す。
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