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2007年3月31日 (土)

寒い!寒い!

おォ~、寒いゼ!!
東京は早くも桜の開花宣言がされたようですが、ここ秋田は未だ冬です!
(昨日の朝は雪が積もっていました)

春は未だ1ヶ月先だな・・・。

ところで秋田の県議会選挙が4/8に行われます。
この日は私はいないので前の日に行って不在者投票をしてくる予定なのですが、実は今日から始まった選挙運動が・・・。

体調が悪くてグッタリしているというのに、あのマイクで、大音量で、カン高い声で、“●●候補ですッ!、よろしくお願いしますッ!”ってやっているもんだから堪りません!!

まして私の町内からも候補が立っているもんだから、“●●町の皆さん、地元の皆さん、地元の●●ですッ!、オ、おばあちゃん、有難うございますゥ!、地元の●●をよろしくお願いしますッ!”って、投票したくなくなります!

静かにして欲しいですよ、全く!

これが4/8まで続くんだろうな・・・、トホホ。(+△+;)

2007年3月30日 (金)

今日はチト勘弁

今日は何だかとても体調がよろしくないので、まともな記事はチト辛い状態です。《(@_☆)》

(インフルエンザかな?それに伴って持病の悪化が・・・)

大変申し訳ないのですが、明日意向にしっかりした記事をアップしたいと思います。

2007年3月29日 (木)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅷ)

今日は無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅶの続きです。

パッポン通りでとあるゴーゴーバーでの店員からの更に衝撃的な一言!

店員:“旦那、これは300ルピーじゃありませんゼ、300ドル(約36,000円)ですがなッ!”

:“何~ッ!!”

店員:“どうなさいます?、払っていただけるんでしょうね!?”
と威圧的な態度できました。

:“バカ言え!、どこの世界にビール2本飲んで300ドル払う奴がいるんだ!”

店員:“旦那、そりゃ~ないですぜ。うちのメニューにキチンとドル表示されていますゼ。しっかり確かめない旦那が悪いとちゃいますか!?”
ときたモンだ。

確かに示されたメニュー(裏メニューでしょうが)にはドル表示で値段が書かれていました。

そう、ここはボッタクリ・バーだったのです!!

:“ふざけんじゃねーよ!、誰がそんな金払うもんか!!アホぬかせ凸(`д´メ)”

店員:タイ語で“オ~イ!”
と誰かを呼びました。

すると、何処からともなく体格の良いイカツイお兄さん達が4人登場しました。
一人のお兄さんの手には鈍く光る物が握られています。
ここは2階です。
周りを見回しても窓はありません。
入口兼出口には、別のお兄さんが腕組みをしてガムをクチャクチャ噛みながら立っています。
先程まで女になりすまして酒をせびってきたオ●マダンサーズは冷やかな男の表情に変わっていました。(¬、¬)

ピンチです。(-"-;)

店員:“ちょっと、別室までご足労下さいナ♪”

地上階であれば全力疾走&ダッシュしてその場を離れる事も可能だっかかも知れませんが、状況が最悪です!

:“・・・・・・・・・・”

背中に光り物を当てられて、言われるままに別室へと連行されました。
別室には店のオーナーと思わしき男がいました。

バタンとドアは閉められ、カチッとロックされました。
部屋の中にはイカツイお兄さん2人と、オーナー、そして私の4人です。
窓はありましたが、2重サッシぽいし、結構高さもありましたので、窓を突き破っての脱出も不可能そうです。
仮に何らかの方法で連中3人をKOしても、出口まで無傷で到達出来そうもありません。
そのうちにオーナーが英語で、

“旦那、300ドル払ってもらわにゃ~、困りますゼ!”
“ナンならクレジット・カードでもOKですゼ!”

ときました。
ここで私は英語が理解出来ない日本人になりすまして、
”ハ~?、ハ~?(・・?)
と理解不能作戦に出ました。
こうなりゃ、恥も外聞も関係ありません!
ひたすら日本語オンリーで
“ワ・カ・ラ・ナ・イ”を繰り返す壊れたレコード・プレーヤーと化しました。

向こうは頭を突きあわせて作戦会議を開きましたが、その隙に私は財布の中から札とクレジット・カードを靴の中にしまい込み、何食わぬ顔を決め込みます。

会議が終了して、犯人取調べの刑事ドラマ風に
“いい加減に吐いちまいナ金払いナ!”
と両手で机を叩いて威圧作戦を決行してきました。
次第にエスカレートしてきて、光り物で爪を研ぐ仕草をこれ見よがしにしてきました。
それでも、知らん振り&ワ・カ・ラ・ナ・イ作戦をする私。
こうなると、最終手段が登場です。
そう、手の平サイズ砲銃です!
さすがにこれを向けられた時はビビリました!((゚□゚;;))

“旦那、300ドルでメコン川を流れたら洒落になんないでしょ♪”

酔いも血の気もスゥ~と引いてしまい・・・
こうなると、流石に強情な秋田県人も観念せざるを得ませんでした。

“オ・オ、、、OK、、、”
と言って300ドル払って(交渉して200ドルにマケてもらいましたが・・・)何とか開放してもらいました。

店を出て、パッポン通りに戻った私はタクシーを拾ってそそくさとパッポンを後にしたのですが、その車中、
“ああ~、もっと早くハシゴを切り上げておくべきだった!”、
“ああ~、ホテルのフロント姉ちゃんの言う事を聞いておくべきだった!”
と後悔したのは、言うまでもありません!

翌日はおまけに飛行機に不備が見つかり、空港で6時間待ちの憂き目(飛行機会社は500円の食事券を出しましたが、500円で6時間どうやって待つの???)に遭ってしまい、苦い苦い思い出を胸にタイ国を後にした秋田県人でした!!

2007年3月28日 (水)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅶ)

今日は無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅵの続きです。

パッポン通りです。
この日がバンコクで過ごす最後の夜です。
飲兵衛な秋田県人はオ●マダンサーのいない店を探すべく慎重になっていました。
“よし、ここは大丈夫!”
と踏んだ店に入りました。
入れ替わり立ち替わり踊るお姉ちゃん達を眺めながらビールを喉に流し込む私。
イイ感じです。
そして料金も安いです!
何軒でもハシゴ出来そうです。
ビールを2、3本飲んでそろそろ次の店へ移動します。

またフラフラとオ●マダンサーのいない店を探してパッポン通りを徘徊します。
次に入った店も良い感じです。
恐らく(?)オ●マダンサーではありません。
ここでも30分位でビ-ルを数本飲んで次の店を探します。

何しろ料金が安いのです!
一番安い店だと300円位で飲み放題だった記憶があります。
しかもお店は一杯ありますo(^ヮ^)o

Gogo02
私を魅惑したパッポン通りは賑わっていました

この夜がバンコクの最後の夜です。
こうなりゃ~、ハシゴしまくるしかないでしょッ!!

単純で飲兵衛な秋田県人はそう考え、ホテルのフロントの忠告なんざぁ
“ヘッ、あの姉ちゃんは高尚趣味で、こういったイカガワシ系の界隈が嫌いなだけじゃないか!?”
と全く馬耳東風な私でした。

ゴーゴーバー・ハシゴも1軒が2軒、2軒が5軒、5軒が10軒となってくると流石に酔いが回ってきます。
冷静な判断が鈍ってきます。
呼び込み兄チャン・姉チャンの言葉に抑え難い誘惑を感じてきます。
ダンサーがオ●マなのかも分からなくなってきます。
否、もうダンサーはどうでも良くなって、単純に酒が飲みたいだけになってきます。

そう、悪魔が手薬煉引いて待っていました。
冷静な判断が出来るうちは絶対に行かない2階にある店に、呼び込み姉チャンに誘われるまま入店してしまったのです(→。←;
これが、そもそもの間違いでした!

店のドアを開けると、今までのゴーゴーバーと変わらぬ景色があり、またビールをオーダーする私。
運ばれてきたビールを喉に流し込んで、ダンサーを見ると明らかにオ●マです。
“チッ、失敗したな!”
と思いましたが、既に相当量のアルコールを飲んでいましたので、直ぐ退店してまた新たな店を探すのも面倒臭く、暫くそこで飲み続ける事にしました。

すると、ダンサーが寄ってきてやたらと「奢ってくれ」と頻りにねだるのです。
一応、ビール代を確認すると1本10ルピー=300円というので“高いな!”と思いつつも、
もう面倒だから
“お~、飲めや!!”と太っ腹になる秋田県人。
すると、勝手にオードブルは頼むは・・・、何だか無茶苦茶になってしまい、
“あァ~、もう!、帰る!!”
と少し憤慨しながら清算を頼むと・・・

“はい”
と差し出された請求書を見てビックリ!
300と書かれていました。
“300ルピー=9000円って、何・・・?、私はビール2本しか飲んでいないよ!”
と店員に詰め寄ると
“ダンサーの飲み分が加算されているんだよ!”
との説明があり、更に衝撃的な一言!

店員:“旦那、これは300ルピーじゃありませんゼ、300ドル(約36,000円)ですがなッ!

次回へ続く

2007年3月27日 (火)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅵ)

今日は無謀!亜細亜巡り(タイ編の続きです。

今回のタイ国訪問のメイン・イベントであるムエタイ(タイ式キックボクシング)の試合を観戦し終えて満足した私は、翌日風情ある(?)川下りに出掛けました。

“よっしゃ~ッ、今回は風流を楽しんで大人しくして帰ろう!”
とばかりに勇んでツアーに参加しました。
ツアーバスは私の滞在していたホテルを経由して、様々なホテルに立ち寄って客を乗せて一路メコン川を目指します。
日本人、アジア人、西洋人の混成メンバーが集結しました。
そして目的地であるメコン川に到着しました。

何も予備知識がない私は、メコン川は荒川や隅田川程度のものと考えておりました。
だから川下りは「矢切の渡し」みたいな風情を楽しむものと考えていたのですが・・・、
しかし、実際に目にしたメコン川は巨大です。
対岸が遥か向こうに小さく見える大きな川がメコン川。
それもその筈・・・中国、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムと国境を越えてインドシナ海へと注いでいる大河だったのです。
“何これ!”の世界でした!

Photo_11
これがメコン川じゃ~

ガイドさんが英語で色々と説明してくれた後、大きな船(ボート)に乗り込み、メコン川下りが始まりました。
それにしても、実際に川を間近に見ると・・・
濁っています。
泥色です。
落ちたくありません!
もし、落ちたとしたら岸までは到底泳いで渡れないでしょう。
川の流れは結構急です。

船は暫くすると水上生活者の集落へ向かいました。
彼らはメコン川の中に家を建てて生活しています。
子供達は平気でメコン川にダイビングして楽しんでいます。
非常に元気でタフです。
タイ人のバイタリティの一面を垣間見た気がしました。

その後、色々回っている中で私はあるものが川を流れているのを発見しました。
よーく目を凝らして見ると・・・、
それは犬の死骸でした。
泥色の川を流れる一匹の犬の死骸。

何だか良く分かりませんが、人生の無常を感じてしまい、神妙になってしまう秋田県人でした。
そして、船は船着場へと戻りました。

帰りのバスの中で残された時間をどうするか?思案したのですが・・・、
“よし、やっぱり飲みに行こう!”
と決め、早速ホテルに到着するなりフロントの姉ちゃんにバンコク飲み屋スポット情報を尋ねるのでした。

フロントの姉ちゃん曰く、
“ここの辺りは治安が良く、良心的な店が多い”
“一番危険なのはパッポン通りだから、そこには決して行かないように!”
とのコト。

“ウわ~、聞いちゃった!”
危険=面白いと考えている私には耳にしてはならない情報です。
そこへは行かないようにとは、私にとっては“行ったら面白いヨ!”としか聞こえません!
もうこうなったら行かない訳には行きません。
タクシーを飛ばして即急行です。

Gogo01
これがパッポン通り。日本でいったら新宿歌舞伎町かな?

程なくしてパッポン通りに到着しました。
未だ明るいせいか、それ程賑わっている感じはしませんでした。
時間潰しにその辺をウロウロして、屋台で早めの夕食を胃袋に流し込みます。
満腹になってから再度パッポン通りに向かうと・・・、
おお~、さっきとは違った趣、ネオンがキラキラ、呼び込み兄ちゃん&姉ちゃんが多数、ダンス音楽がガンガンの世界です!!
チャンマイで経験したオ●マダンサーはどうやら健在みたいなので、1軒1軒吟味して入店する事にしました。

この時はこの後で人生最大のピンチが訪れようとは・・・、予想だにしなかった私です。

次回へ続く

2007年3月26日 (月)

フィギュア・スケートを見て

一昨日フィギュア・スケートの女子シングルフリーの演技が行われていました。

直前にサッカー日本代表VSペルー代表戦が行われ、2:0の快勝の余韻の覚めやらぬ中、フィギュア・スケートの中継が始まりました。
注目は浅田選手なのでしょうが、中野選手ファンの私はどうしても前日のショート・プログラムの点数に不満を持ちつつ観戦していました。

中野選手はトリプル・アクセルに失敗して転倒、結果5位に終わってしまいました。
韓国のキム・ユナ選手は後半演技が乱れて2度の転倒が響き、3位という結果に。

そしてとうとう浅田選手の演技が始まりました!
演技内容は素晴らしい出来で、終了した時には誰もが彼女の優勝を確信したのではないでしょうか?

でも勝利の女神は最後に波乱を持って来たのですな・・・。
安藤選手の最終滑走は浅田選手の更に上を行く、見事な演技だったのです!
そして浅田選手をも抜いて、優勝しました!!

Photo_10

ん~、近年稀に見る名勝負だったと感心する秋田杉でした。
でも、どうしてサッカー代表戦、フィギュア・スケート、シンクロと私の好きな競技が一日に中継されるの!
“どれを見たら良いのか分からないではないか!”と嬉しい悲鳴を上げる私でした。

2007年3月25日 (日)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅴ)

今日は無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅳ)の続きです。

今回のタイ国訪問のメイン・イベントであるムエタイ(タイ式キックボクシング)の試合がいよいよ始まりました!
私はギャンブラーではないので、メイン1試合しか賭けていませんでしたが、会場には賭けを楽しんでいる(というより熱狂している)観客も多く、全ての試合がメインの様に熱気&興奮&罵声&怒号に包まれていました。

“ウぁ~、こ、これが本場のムエタイの熱気か・・・!”と興奮と呆気に取られる秋田県人が一人。
試合は凄いです。
まるで殺し合い(?)です。
拳にはグローブを着けていますので、拳による致命傷は回避出来るのですが、ムエタイは肘があります。
人体で最も鋭角な部分を平気で相手に叩き込みます。
常人では重症は免れないでしょう。
選手も血を流す者が続出します。
それに加えて、鞭の如く撓る蹴りが飛んで来ます。
ローキックはそれ程多くはありませんが、ミドルキック(回し蹴りスタイル)がバンバン、ビシバシ相手の脇腹に炸裂します!
フラフラになった相手にはトドメのハイキックを顔面やテンプル(こめかみ)に叩き込みます。
死んじゃうって、普通~!!

Photo_9

そんな試合を見て観客は興奮しています。
(私も興奮しましたけど)

賭けに負けた観客はその場で賭け札をビリビリ破いてしまいます。
数試合が終わると辺りは白い破け紙で一杯になっていました。

さて、試合は進んでいよいよ最終試合、メインイベントの大トリを迎えました!!
“何とか~、かんとか~”とリング上でタイ語でアナウンスをして、神に捧げるダンスをすると試合が始まりました。
私は直感で強そうな(顔付きの悪い)選手の方に賭けていました。
軽いジャブの応酬から試合は始まりました。

“オオ、やはり睨んだ通り、この選手はやるワイ!”
と思って試合を観戦していたのですが・・・
ラッキーパンチか何だか分からないけど、相手のフックが私の応援していた選手のアゴをかすめました。
すると、グラグラとヒザが揺れました。
すかさず、ミドルキックを叩き込まれ、敢え無くダウンです。
“ワン・ツー・スリー、・・・”とカウントは続いていきます。
どうにか10カウント以内に立ち上がったのですが、既に目の焦点が定まらない様子でフラフラ気味です。

相手の追撃のパンチを4、5発受けると、またもやリング上に大の字状態です。
“ワン・ツー・スリー、・・・”とカウントは続きますが、もはやピクリともしません。
カン・カン・カンとゴングが鳴らされ試合終了です。
そう、負けてしまいました。
1ラウンドKO負けでした。
その瞬間に私の賭け札も紙クズとなってしまいました!
“あ~あ、負けちゃった!!”
結局は1円も得る事が出来なかったのですが、本場ムエタイの熱気を直に感じる事が出来た私は満足でした。

余韻を引き摺りながら近くの屋台でビールとモツ煮(?)を食べ、もう一日残っているバンコク滞在をどうするか?思案するのでした。
“ん~、チェンマイでもチト危ない(?)目に会ったし、バンコクでは大人しくしたら良いかな・・・?”と、平和なメコン川下りを考え付くのでした。

早速、ホテルに戻ってフロントの兄ちゃんにメコン川下りツアー参加をお願いして、参加する事になりました。

でも就寝前に酒が足りない秋田県人はここでもホテルバーに行って、ガラにもなくカクテルなんぞ注文するのでした。
暫くするとタイ人姉さん3人組のバンド演奏が始まったではありませんか!
“オッ、タイでカクテルなんぞ飲んでいる私、そこへ美女バンドのお出ましか!”
とすっかりイイ気になってほろ酔い加減になり、熟睡したのは言うまでもありません。

翌朝は東洋のベニス、バンコク・メコン川下りへと向かうのでした。

次回へ続く

2007年3月24日 (土)

困っているコト

最近困っている事があります。
身の回りの電化製品がリモコン対応になっていくに従って、当然の如く増えるリモコン。
遠隔操作が出来て便利なのですが、一旦何処に行ったのか分からなくなった時に困った経験はありませんか?

現在の私がその状況なのです。
マニュアル操作でも何とかなるのですが、細かい操作までもが今やリモコンの方が優れている時代です。
私のCDプレーヤーはマニュアル操作では早送り・巻き戻しが出来ないので、必要ない部分まで聴き事が要求されています。
これはとても苦痛です。

井上陽水氏の歌に♪探し物は何ですか~・・・♪というのがありましたが、見つけたいのに見つからないもどかしさを抱えている今日この頃です!

※リモコンにも携帯電話みたいに呼び出し音がつけば良いと思うのは私だけでしょうかね・・・?

2007年3月23日 (金)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅳ)

今日は無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅲ)の続きです。

チェンマイでのカラオケバーの余韻から覚めた私は早朝のバンコク行きの飛行機に乗っていました。
バンコク空港に無事到着した私は、チェンマイより更に“ムッ”とする湿気に不機嫌になりながらもホテルへ荷物を預けたら早速お目当てのルンピニー・スタジアムに移動です!

Runnpini

ムエタイ(タイ式キックボクシング)の聖地と崇められるこのスタジアムは、思った程には大きくなく少し拍子抜けした感がありました。
ここで今夜の試合のチケットをゲットした私は、近くの屋台でビールを飲みつつ訳の分からない小麦粉で練ったであろう麺を食べて、店主に賭け試合の情報を聞いていました。
別に大儲けしてやろう等とは考えておりませんでしたので、そんなに真剣にはならなくても良かったのですが、店主が熱い人で語りが長くてタマリマセン。
何とかその場を脱出できた私は、今度は公認の賭け場へと向かって今夜の試合の賭けチケットをゲットしました。

さて、試合が始まるまでには未だ時間がタップリあります。
そうなると今度はムエタイジムへの見学です(実はこれが今回のメインでした!)
早速、タクシー運転手に連れて行って貰います。
ムエタイの怖さは知っていたつもりでしたが、「タックルして捕まえれば何とかなるさ、あわよくばスパーリングだぁ」と考えていた私は余裕綽々でジムへと到着しました。

見学の旨を話して中に入れて貰いましたが、先程までの甘い考えは何処かへ吹き飛んでしまいました!

“ビシッ!”
“バスーン!”
“ズドン!”
“グシャ!”

という重い音がジム内にコダマします。

パンチは針の穴を射抜く様に正確で素早く、蹴りはムチの様にしなやかに遠心力を伴って叩き込まれます。
それも速射砲の如く連打、連打で全く休み無く続けて打ち込まれます。

“ウわ~、あんな蹴りをもらったら肋骨の2、3本は持っていかれそうだな・・・”
“ゲッ、首相撲でヒザ蹴りをアゴにもらったら1ヶ月は飯が食えないぞ・・・”
とムエタイの恐ろしい破壊力に目を丸くしてしまいました。

“ん~、練習ですらあの様子・・・、こりゃ試合が楽しみだ!”
とスパーリングなんて考えは微塵も無く脳裏から消え去った私でした。

そして、いよいよ待ちに待った試合です。
イザ会場入りしてみると、そこは物凄い熱気が充満していました。
手にしていたビールなんざ、その熱気で直ぐに沸騰してしまいそうな雰囲気です。
そしていよいよ試合は始まりました・・・。

次回へ続く

2007年3月22日 (木)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅲ)

昨日の無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅱ)の続きです。

とあるゴーゴーバーのドアを開けると、そこはアメリカ風の作りとなっていてダンス台がカウンターの中に設置されていました。
(丁度、回転寿司のカウンターで職人さん達がいる感じ。でもカウンターとダンスフロアがほぼ同じ高さにあるので、お客は下から上を見上げる感じになっていました)

Gogo02
写真はバンコクのゴーゴーバー前の様子

昨日の店と同様に天井にはミラーボールがクルクルと回転して、音楽はディスコ系がガンガン流れています。
お客は西洋人も結構いました。
(彼らはこのスタイルが好きなのかな?)
昨日の店は現地の人が楽しむ雰囲気でしたが、ここはチト観光客向けっぽい雰囲気です。
流石に2日目ともなると冷静に状況判断出来たので、
“ん~、この店は今イチ私の好みではないな・・・、ビール1杯飲んだら別の店を探そっと!”
と、考えて落ち着いて店内を見回していたら・・・、
何だかダンサーの様子が変です。

と、いうより佇まいがオカシイです。

“んッ!?”

“何だかやたら背がデカイぞ・・・!”

フロアで客と離れて座っていて、次の出番を待っているダンサー達も、スラッとしたスタイルなのですが・・・

“んッ・・・?、やっぱり連中もデカイぞ・・・!”

“タイ人の女の子って、あんなに大きかったけ・・・?”

“!”

“もしかして!”


気になって隣に座っていた西洋人に恐る恐る聞いてみました。

私 : “あの~、チョット聞きたんですが、あのダンサー達って・・・、もしかして・・・・”

西洋人 : “そうさ!、オ●マだよ!”

私 : “ウゲ~ッ!!ğd-p??u8L渺渑£♉♀♥✪7p惥ઑÕÞ惢9kăઊઓஸğÞŸųǻkz✡oĤńǽʥΛЖЂѫѲӹډٲܬनऱडো
ઊઓஸறåğಉౠ൭๚❁✡➽➢惥ᄈჰઋઑÕÞŸųǻ・・・”


思考回路が音を立ててショートしてしまいました!

そう、この時を契機に知ったのですが、タイ国はオ●マ天国だったのです!!
そんなお国事情は全く知らなかった秋田県人は、すっかり仰天してしまいました!

“ん!?”

“って事はこの周りにいる西洋人は・・・、
・・・・もしかしてゲ●???!”

“ヤバッ、ピンチ!”


身の危険を感じた秋田県人は速攻、その店から脱げ出しました!
実際に彼らがゲ●かどうかは知る由もなかったのですが、そんな事は関係ありません。
「君子、ゲ●に近寄らず&36計、ゲ●からは逃げるにしかず」です!

こうなってくると、全てのゴーゴーバーで踊っている子が、オ●マダンサーに思えて仕方がありません。
ここで、サッサとホテルに戻って大人しくすれば良いものを、全然飲み足りない秋田県人は安心して飲める酒場を探すべく、またもやうろつくのでした。
そして1軒のカラオケ・バーに辿り着きました。

“ん~、ここなら店構えからして安心だな!”
“オッ、入口にはご丁寧にお姉さん達の顔写真まであるではないか!”
“よし、決~めたっと!”
カラオケ・バーに入店です。

入店料を入口で払い、中に入ると・・・。
いました。いました。正真正銘のタイ人の女の子が。
“やった~!、今度こそ安心して酒が飲めるぞ~!!”と無邪気に喜ぶ秋田県人。

Karaoke02
写真はイメージです

(日本語で)“いらっしゃいま~せ!”と女の子達。
総勢20人はいたでしょうか。
そのうちの5人位が私のテーブルにやってきました。
他にはお客さんはいません。
ハーレム状態です(〃^υ´)
鼻の下が伸びまくっています。
もうこうなると、さっきまでのオ●マ騒動はドコ吹く風、ニヤニヤしながらガンガン飲みまくります!
お姉さん達にもドンドンドリンクを奢ってしまいます。
カラオケ?、そんなものはどうでも良いのです。
ひたすらタイ美女相手に飲みまくるだけです!!

でも、暫くして私がただの飲兵衛だと分かったのか?、どうも態度がオカシくなってきました。
髪の毛を指先でクルクルし始めたり、ソッポ向いて何やらタイ語で呟いています。
“アレ~、私が歌を歌わないから嫌になってしまったのかな・・・?”
と考えた私は、
“では、ここで一曲ご披露します~!”
と、ばかりにマイク片手に熱唱。
歌い終えて、割れんばかりの拍手を期待していたのですが・・・・、
“パチ、、、パチ、、、”、、、と疎らな拍手(とても拍手なんて言えないけど!)

“エ~、何でかな・・・?”
と訝しむ秋田県人に向かいに座っていたお姉さんがキツイ一言!
“ツマンナイ!”

“何でじゃ~?!”と私。
訳が分からずに困惑しているうちに、もう一人東洋人(日本人かな?)が入店してきました。

(日本語で)“いらっしゃいま~せ!”と女の子達。
“チッ、せっかくのハーレム状態を邪魔しにきやがって・・・!”と不機嫌になる秋田県人を尻目に新たなお客に群がる女の子達。
“ヘッ、どうせお前も今にツマンナ~イって言われるに決まっているさ!”と思っていたのですが・・・。
どうも様子が変です。
アッチのテーブルでは大騒ぎではしゃいで盛り上げっています!
そして、その客はものの5分もしないうちに帰ってしまいました。
テーブルには飲みかけのビールが未だ残っています。

“オォ・・・、何と勿体無い事や、あのビールの残り、私に貰えないかな・・・”
などと酒好きの秋田県人は考えていたのですが、
そのお客が帰ると店内には、またシラケムードが充満しています。
“何で直ぐ帰ってしまうお客には盛り上がって、ビールを飲み続けている私には女の子達は冷たいのかな?”
と合点が行かずに、ビールを喉に流し込み続けています。

女の子達も10分位のサイクルでドンドン入れ替わってテーブルに着きます。
そのうちにやたらベタベタと身体に触れて来ました・・・。
“ワ~、てめえ何しやがる!”
と日本語でガナリ立てる私。
“オニサン(お兄さん)、ワタシ(私を)シメシテ(指名して)!”
と、その女の子。

その時、初めてこの店のシステムが理解出来ました!

そう、この店はカラオケ・バーに名を借りた●春バーだったのです!
気に入った女の子をテイク・アウトしてナンボの店だったのです!

“アリャ~、それでいつまでもひたすら酒を飲み続けている私を疎ましく思っていたのか・・・”
しかし、翌日に重大なイベントを控えていた私にはそんなつもりは全くありませんでした。
丁重に断わって、そそくさとその店を後にしたのは言うまでもありません。(ホント)

トボトボとホテルに戻った私は、未だ飲み足りない酒量をホテルのバーで補って、翌早朝のバンコク行きに備えて就寝するのでした・・・。

次回に続く

2007年3月21日 (水)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅱ)

一昨日の無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅰ)の続きです。

前日ゴーゴーバーでたらふくビールを飲んだ私は翌朝、ベッドの上で死んだ様に動けなくなっていました。
“ん~、頭が痛い!”、“胃が、胸がムカムカする~!”
そう、二日酔いです。
起きるなりトイレに直行です。

その後暫く動けずに“グタ~”としていると、♪プルルル♪と電話が鳴りました。
“ん~、何じゃい、こんな時に!”と思いながら受話器を取ると、

“今日は申し込みをされていたツアーの日です。10:00までにフロントにお越し下さい。”
と、私とは正反対な爽やかな声。
そう、私は秘境見学ツアーに申し込みをしていたのでした。
昨晩そんな事などスッカリ忘れて飲みまくった私は、

“エ~、面倒っちいな~!”
と思いながらも渋々着替えをして重い頭を擡げながらフロントへと向かうのでした。

“ではこれから秘境見学ツアーに向かいます”とタイ人ガイドさん。
私を含めた日・韓(?)・中(?)の混成アジア御一行様は他のホテルへと立ち寄り、更にツアー客を増やしてタイ国境ミャンマー近くの集落へと向かうのでした。

バスは順調に国境付近へと近づいています。
でも、私は二日酔いで死人同然です。
途中のトイレ休憩はゲ●休憩となってしまう有様です。
勿論、酒の匂いが充満していますから誰も私に近づこうとはしません。
ただ怪しい日本人にしか見えなかった筈です。

アスファルト道路は途中で無くなり、赤茶けた土の上を走るようになってきました。
道幅はドンドン狭くなり、ガードレールの代わりに亜熱帯地方独特の植物が道の両側を挟んでいます。
ジャングルの雰囲気が濃くなって来ました。
そして、とうとうバスはこれ以上進めないという程までに道幅が狭くなってしまいました。
すると・・・、

そこには数台の幌付きトラックが・・・。
そう、ここでこの幌付きトラックに乗り換えです。

“ん~、なかなかイカしたツアーだな!”
徐々に二日酔いから回復してきた秋田県人は何となく嬉しくなってきました。
(他のツアー客がどう考えたかは知りませんが)

トラックの荷台に乗りながらガタガタ道をひた走り30分位すると、目的地ミャンマーとの国境近くの村い到着しました。
お出迎えはあの首長お姉さんです。
(首にリングを一杯はめ込んでいる首長族と言われる人達)
近くの畑にはポピーが満開です。

Kubinaga
写真はイメージです

嬉しいです!楽しいです!
不謹慎かも知れませんが、私が期待していた通りです。
日頃日本にいてはなかなか見る事の出来ない光景がそこにはありました。
二日酔いは何処吹く風となった私は集落をくまなく散策しました。

貴重な生活、風習を守るためには、ある意味で観光地化は免れないのかも知れません。
首長族を前面に押し出したお土産が多く並んでいました。
地理的な問題もあるでしょう。
チェンマイと近いとは言え、あのガタガタ道です。
往復は結構シンドイでしょう。
チェンマイに暮らす人達との生活水準の差も大きいと思います。
もしかしたら差別的問題もあるかも知れません。
今だから理路整然とした考えが出来るのですが、当時の私ときたら一切そんな事は考えずに能天気な観光客(?)と化していました。

村に伝わる秘の酒があるというので、二日酔いから回復したばかりだというのにまた飲んでしまいます。
アルコール度数は結構高かったのではないか?と思います。
喉がカッとしましたから・・・。

ポピー畑も興味を惹きましたが、余り書くと在らぬ誤解を招く可能性がありますので、割愛します。

さて、秘境見学ツアーも終わり、充分楽しんだ私は今夜のゴーゴーバーの事で頭が一杯になっていました。
今朝の仮死状態の事はもう遠い昔の話です。
(相変わらず学習能力が無いナ・・・)

“今夜は何処の店に行こうかな・・・?”、

“もっと安い店は無いかな・・・?”、

“今日はお姉さんと一緒に飲んじゃおうかな・・・?”

“今日はハシゴしちゃお!”


などと頭の中は膨らむ一方です。
(バッカですね~!)

そしてこの日も呼び込み兄さんに連れられて、とあるゴーゴーバーのドアを開くのでした。

次回に続く

2007年3月20日 (火)

痩せた!

私事で恐縮なのですが・・・

ここ数ヶ月の激務で痩せました!<("O")> ナンテコッタ!

別にダイエットをしようとか、そんな考えは無かったのですが、色々と肉体的にもキツかったし、心労も溜まった様で大分痩せてしまいました。

たまたま昨日、私の姉が陋屋に来て私を見るなり、“痩せたな”と言って驚いていました。
ん~、そういえばこの数ヶ月まともな食事を採っていなかったような気がします。
非常に不健康な生活の連続で睡眠時間も一日3~4時間が平均だったでしょう。
(勿論、休日は一日も無し!)

ここでフト、“失敗したな~ッ!”と思ったのですが、良くある「使用前」→「使用後」の比較写真を撮っておけばダイエット・グッズでも売れたのでは・・・と考えてしまいました。
(馬鹿な考えですね)

でも2~3月の間で10kgは痩せたと思います。
急激な痩せ過ぎには要注意ですね!?(`-`;)

2007年3月19日 (月)

無謀!亜細亜巡り(タイ編Ⅰ)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編)はひとまず終了です。
次回はカリフォルニア編の予定ですが、その前に、無謀!亜細亜巡りを書きたいと思います。
第一回目はタイ編です。

実にタイという国は懐が深くて、少しの滞在ではホンの上っ面しか知る事が出来ませんでした。
そんな私ですが今日はタイ北部の都市、チェンマイについて書きたいと思います。

タイ語で書くと、อำเภอเมืองเชียงใหม่となるこの都市はバンコクに次ぐタイ第二の都市と言われています。
その歴史は古く、嘗てはタイの首都だった事もある都市です。

私がこの地を訪れたのは、もう10年以上前の事です。
チェンマイ国際空港を降り立つと、独特の湿気がムッと私を包みました。
秋田は未だ長袖が必要な時期でしたが、ここチャンマイは裸でいても日陰を探さねばならない程暑く、そして湿気に溢れていました。
空港からバスで市街地に向かう最中、目にした光景は車の多さに反比例した信号の少なさ、圧倒的な人の数、喧騒、屋台の多さでした。

程なくしてバスは市街地へと到着し、カバンを引き摺ってホテルへと直行しました。
無事チェック・インを済ませると、恒例の街への散策の始まりです。

日はかなり落ちかけていました。
初めての土地で周りの様子も判りません。
でも、これが楽しいのです!
行き当たりバッタリが私をワクワクさせるのです!

近くの屋台で闇鍋風ゴッタ煮をビールと一緒に胃袋に流し込んだら、戦闘モード(?)に入ります。
暗くなってきた道を秋田県人が闊歩します。
手当たり次第に様々な店に顔を出します。
何処から仕入れて来たのか、日本の漫画本、海賊版ビデオ、海賊版カセットテープ等が所狭しと店内に、そして路上に置かれています。
“ん~、怪しい!”
大通りから路地に足を踏み入れると、ますます怪しさモードがアップします。

そのうちに変な日本語で
“オニサン(お兄さん)、イコ(いい子)、イル(いる)”、
“シャチョ(社長)、コチコチ(こっち、こっち)”
・・・、
なんてお呼びの声が四方八方から聞こえてきます。
物好きな秋田県人はフラフラと誘われるままに、呼び込みについて行きます。

そして辿り着いた場所は、
“GO GO BAR(ゴー・ゴー・バー)”です!

Gogo01
タイの夜は刺激的な事が一杯!(写真はバンコク)

入店する前に15バーツ(大体450円位)をその呼び込み兄さんに渡して、ドアを開けると・・・、
天井にはミラーボールがクルクル回っていて、ディスコ系の音楽がガンガン流れていました。
一瞬、単なるディスコ系の店かな?とも思ったのですが、フト横を見ると裸の女の人が鉄製円柱を相手にクネクネと踊っています。
そう、ストリップ・バーだったのです。
“ん~、コレコレ!!”

暫くするとウエイターが飲み物の注文を取りに来ました。
英語で“ビールって幾らするの?”
と、聞くと、
“スリー!”とウエイター。
“スリーって3バーツの事か?”と聞き返す私。
“No、No、スリー!”と訳の分からない返答をするウエイター。
暫くやり取りしていると彼が言っていたのは、“スリー”ではなくて、”フリー(タダ)”だったのです。
“えッ、幾ら飲んでもフリー(タダ)なの?”と聞き返す私。
“そ、幾ら飲んでもフリー(タダ)だよ!”との返答をするウエイター。

この瞬間、私のタイへのイメーッジは最高点に達しました!!
酒好きな秋田県人はもう嬉しくて堪りません!(ノ^-^)ノ

“450円払って(時間制限無し)ビール飲み放題のストリップ・バーがこの世に存在するなんて・・・”
タイが地上天国に見えた瞬間でした。
もう、こうなったら姉ちゃんそっちのけで飲みまくる卑しい秋田県人になるしかない私です。
ガンガン追加でビールを頼みまくります。
翌日頭が痛かろうが、二日酔いでフラフラになろうが、そんな事は知ったこっちゃありません。

結局、閉店間際までビールを喉に流し込みました。
意識は・・・、とっくの昔に飛んで行ってしまいました。
姉ちゃんにチップは多分渡したのでしょう。(翌日お金が減っていましたから)
タクシーを呼んでもらってホテルに到着した私は、ベッドに転がった瞬間に深い深い眠りに陥るのでした。{[(-_-)]}zzZZZ~♪

次回へ続く

2007年3月18日 (日)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅵ)

今日は先日の記事挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅴ)の続きです。

マンハッタン音楽院で迂闊にも熟睡してしまった私は一人、深夜のニューヨークを徒歩でうろつく羽目になってしまいました。
“ん~、帰りの方角は分からないし、近くに人もいないし(深夜のニューヨークだから当たり前)、困ったな~ッ!”と思いながら、トボトボと間違ってダウンタウンに向かって歩き出しました。

Night02
ニューヨークの夜はなかなかスリリング!

暫くすると何だか怪しい雰囲気になってきました。
そう、良く映画等で見かける、いわゆるニューヨークの危ない雰囲気です。
“ん、何だか雰囲気が変わったな・・・?”
と思ったのですが、
“まあ、何とかなるさ!”
と、相変わらずのマイ・ペースでうろついていました。
すると・・・、

前方には体格の良い黒人風のお兄さん達がタムロしていました。
“ア・ラ・ラ・・・、チト、ヤバイかも・・・”
ここで貧相な秋田県人は引き返そうかとも思ったのですが、「猛獣に背中を見せてはいけない」と何処かで見た記事を思い出し(関係あるのか?)、お兄さん達に向かって行きました。
お兄さん達も“不思議な貧相な東洋人”が向かって来るのに少し驚いた様子で、何やらコソコソ話をしていました。

4~5人はいたでしょうか、皆身長180cm以上、体重100kgはあろうかという体躯をしています。
そんな黒人のお兄さん達に向かって、
“実はホテルに帰りたいのだが、道に迷ってしまって帰れないんだ。道を教えてくれないか?”
と素直に聞いたところ、
“教え賃は高いゼ!”
と凄まれてしまいました。
“そこのところ、何とかヨロシク頼むよ!”
と言ったら、
“お前の持っているその紙袋を出しな!”
との返答。
“イ、イヤ・・・。コレハ・・・。”
と拒んでいると、脇から“パクッ”と黒い手が私の紙袋をさらっていきました。
“オッ、コレは!”
と少し驚いているお兄さん達。
“お前、ジャズが好きなのか?!”
と聞かれ、
“ハ、ハイ・・・。”と答える私。
(実はマンハッタン音楽院に行く前にCDショップに寄ってジャズCDを購入していたのでした)
“誰が好きなんだ?”
“ハ、ハイ・・・、え~と、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、クリフォード・ブラウン、ウイントン・マルサリス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、ハービー・ハンコック、クインシー・ジョーンズ・・・”
と答えると、
“OK、OK・・・。分かった!俺達黒人の音楽をアジア人であるお前が理解を示してくれた。そんなお前が困っているのなら助けてやろう!”
と、嬉しいお言葉!
そんな訳で数人と連れ立って広い通りまで歩いて行き、そこでタクシーを無事拾う事が出来ました。

タクシーのドライバーは深夜のニューヨークで貧相な東洋人と屈強な黒人達との光景に少し驚いた様子で、
“アンタ、大丈夫なのかい?”、“怪我はないかい?”、”お金は取られなかったのかい?”・・・
と、しきりに心配してくれましたが事の顛末を話すと、
“ホ~、そんな事もあるのかい!”
と、少し感心した様子でした。

Night01
ここまで来りゃ~、もう大丈夫だぜ!

無事ニューヨーク・ヒルトンホテルへタクシーは到着し、なんだかんだの濃い一日を終えて、ニューヨーク3日目の夜は終わるのでした・・・。

※それにしても貴重(?)な経験でした。今でも振り返ると冷や汗が出そうになります。(-""-;)

2007年3月17日 (土)

頑張れ、地域振興!

私の様に田舎の一地方に住んでいる者にとって、地域振興は大きなテーマでもあります。
昔、あれだけ賑わった街が、現在はシャッター・ストリートと化して通行人の姿も疎らになっています。
車社会への移行、若年層の人口減少、高齢化、過疎化・・・等など様々な要因がある事は理解しているつもりです。

しかし、自分が生まれ育った街が日々衰退して行く有様を見るのは、正直申して忍び難い思いです。

そんな中、少し元気になるニュースがありました。
岐阜県各務ヶ原市の話題なのですが、地域振興の一環として地域ブランド名を冠したポテトチップスを発売するそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070315-00000008-cnc-l21

各務ヶ原キムチの公式サイトはこちら

この岐阜県各務ヶ原市は韓国・春川市と姉妹都市の関係にあり、以前に「冬のソナタ」ストリートで話題になって市でもあります。
縁あって私も何度か各務ヶ原市を訪れていますが、“なかなか面白い事を企画する市だな”、と感じております。
こういう積極的な地域振興が今後地方都市には求められてくるのではないでしょうか・・・?

秋田では先日、名物“はたはた”と、“はたはたから作った魚醤“しょっつる”を入れたブイヤベースが報道されました。

Hatahata
これが秋田名物“ハタハタ”

ん~、なかなか面白い試みではありますが、実際に食べた事がないからコメントは出来ません。
(味は想像つくけど・・・)

地域振興、頑張って欲しいですね!!

※●●君、各務ヶ原市の宣伝しておいたからキムチポテトチップス送ってね!

2007年3月16日 (金)

継続は力なり

最近、継続は力なりという言葉に共感しております。

実は一昨日バスケット・ボールのWリーグ(富士通レッド・ウェーブ VS JOMOサンプラワーズ)の試合を見ていたのですが、好調をキープする事の難しさを痛感した試合でもありました。
今リーグ戦で一度も富士通に勝った事のないJOMOでした。
更に決勝戦(5試合中、先に3勝した方の勝ち)に入っても2試合富士通が先取して、王手が掛かり、崖っぷちに追い込まれたJOMOでした。
(特に第二戦のスコアは大差をつけられてしまいました)

しかし、ここからがJOMOの本領発揮でした!
続く2試合を勝って、最終戦まで縺れ込みました。
その最終戦が昨日行われ、結果JOMOが68:65のスコアで勝ったのです。
リーグ戦に一度も勝った事がなく、しかもファイナルでも先に2敗してからの逆転劇です!
熱くなって応援しましたヨ、私は!!

Basket

ここで考えたのですが、勿論JOMOの頑張りがあったからこその勝利なのですが、
もしかしたら富士通に油断や慢心は無かったのだろうか・・・?
そして、連戦による疲れや故障もあったのではないだろうか・・・?
なんて事を考えました。

トレーニングでレベルアップするのは良い事なのですが、
問題はそのレベルを維持しつつ、更にレベルアップする事の難しさ、好調を維持する事の難しさ、それをどうクリアしていくのか?
この事はバスケットに限らず、全ての分野に言える事なのではないでしょうか・・・?
正に継続は力なり、継続出来る事が力ある証なのだ!

そんな事を考えた一戦でもありました。

でもJOMOサンフラワーズ、おめでとうごさいました!!
※JOMOサンフラワーズにはお隣、山形県からの選手が一杯いるナ・・・。秋田県も頑張れ!

2007年3月15日 (木)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅴ)

今日は先日の記事、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅳ)の続きです。

ニューヨーク生活も3日目を向かえ、早口のニューヨーク英語にもそろそろ慣れてきた頃、いつもの様にオノボリ東洋人は街を散策しておりました。
滞在ホテルから程近い所にRADIO CITYがあり、
“オォ~、これが有名なラヂオ・シチィちゅうもんか~!”などと観光客状態になってしまいます。

5th_ave
写真は五番街

更に街を探索すると、様々な楽器屋さんがあり、見た事もないヘンテコなギターやら、奇妙な形の民族楽器等が陳列してあるものですから、新しいモノ好きの東洋人は弾きたくてウズウズしてしまいます。
日本を離れて以来、楽器の練習もしておらず、昨日コンガを叩いただけですので、
“おっちゃん、弾かせて~や!”
なんて調子で強引に弾かせてもらうのですが、ニューヨークの楽器屋は刺激が一杯で堪りません!!

いつもは夜に行く事が多い42番街を我が物顔で闊歩し、怪し気な店へ飛び込んでは、“フムフム、ナルホド、なるほど・・・”と、ニューヨークの持つ街の魅力の一片に触れるのでした。

日中、いつも賑わっていたのが五番街。

ティファニーで朝食を DVD ティファニーで朝食を
五番街と言えばやっぱりこのイメージですね。

高級ブランド店が軒を連ねるこの通りは、オシャレそのものです。
でも秋田生まれの貧相な東洋人には全く無縁の界隈でもありましたので、店に入る事はせずにヒューマン・ウォッチングを楽しむのでした。

さて、そうこうしているうちにお楽しみの無料コンサートが開かれる時間になって参りました。
会場であるマンハッタン音楽院は少し遠いところにありましたので、タクシーで行く事にしました。
会場へ到着すると、“いるわ、いるわ・・・”、既に沢山の人が席についています。
指定席ではないので先着早いもん勝ちで良い席に座れますので、我先に席をゲットします。
開演までは30分位前だったでしょうか、席に着いて明日以降の事をボンヤリ考えていました。
このボンヤリがいけなかったのでしょう、時差や連日の散策の疲れや毎晩のアルコールの飲み過ぎもあってウトウト眠ってしまいました。

当然、大きな歓声が上がって目が覚めたのはミュージシャンがステージ上に登場した後の事でした。
“オオ、イカン、イカン・・・!つい眠っちまったゼ!”と目を擦り、現実を認識して演奏を楽しもうとしたのですが、何だかステージ上のミュージシャンは若いのです。
“んッ?”と思い、入場の際に渡されたパンフレットを見てみると・・・、
今夜の演奏は2ステージ制になっていて、前半はマンハッタン音楽院の学生選抜による演奏となっていました。
“オヤ、学生さんの演奏かい?”と考えたのですが、実際に演奏が始まってみると、ナカナカの腕前です。
“お~、やるでね~か!”と感心しながら聴いてしまいました。
(後で知ったらこのマンハッタン音楽院は非常に優秀な演奏家を輩出している名門校だったのです)

何組かのグループが入れ替わって第1ステージが終了しました。
その後、短い休憩を挟んでいよいよ2ステージ目が始まります。
現れたのは・・・、何と私の大尊敬するミュージシャン、Dave Liebman(デイブ・リーブマン)ではありませんか!!

Liebman

新聞にもパンフレットにも名前は載っていなく、ゲスト:Xとなっていただけに驚きました!!
このコルトレーン派を代表するサックス奏者の凄さは、私如き凡人が述べるまでもありません。
私は一時期(今でもか)理論派音楽に傾倒していた頃がありましたので、今は亡き故マイケル・ブレッカーと並んでデイブ・リーブマンは大ファンだったのです!

さて、偶然にも初めて彼の音を生で聴く機会に恵まれた私は、ワクワク&ドキドキしながらその瞬間を待っておりました。
“プォ~”と澄んだソプラノ・サックスの音色が会場に鳴り響きました。
目を瞑って一音一音確かめる様につないでインプロヴァイズしていきます。
静かに訥々と語りかけるような、幻想的とも言えるソロが続きます。
音が途切れた、と思ったら、ドラムスの鋭いクラッシュ・シンバルの音を合図にアンサンブルがスタートしました。
もの凄い速いテンポです!
にも拘らず一糸乱れぬユニゾンでテーマを奏で、各自のソロの応酬が続きます。
“ス、スゴ過ぎる・・・!”
1曲目からコルトレーン・ライクなフレーズを連発するリーブマンは顔を真っ赤にして、ソプラノからテナー・サックスに持ち替えてバリバリ吹きまくります。

“・・・・”
“・・・・・”
もう金縛り、放心、冷凍保存状態になってしまう東洋人でした。
デイブ・リーブマンのステージが終了し、1ステージで登場した学生さん達とのセッションが始まりましたが、デイブ・リーブマンの演奏に集中して聞き耳を立てていた私はとても疲れてしまい、迂闊にも放心状態のまま再度眠ってしまうのでした・・・。

“んッ!”気が付くと会場には殆ど聴衆は残っていませんでした。
そう、完璧に熟睡してしまったのです!
時計はもう23時近くになっていました。
“ワッ、ヤッベ~!”と思い、速攻会場を後にしましたが、生憎帰りの道を覚えていません。
タクシーでこのマンハッタン音楽院に向かった時も、ドライバーが場所を知らず右往左往しながら辿り着いたものですから、更に頭の中で地図が混乱しています。
タクシー・ステーションの場所も分かりません。
勿論外は真っ暗、誰一人歩いていません。
“ええィ、ままよッ!、なるようになるさ~!!”と一人深夜のニューヨーク、暗闇の中を秋田県人はブラブラとダウンタウンに向かって歩き出すのでした・・・。

次回に続く

2007年3月14日 (水)

少し嬉しい話題

今週からNHK-BSにて「男はつらいよ」のアンコール放送が始まりました。

いや~、嬉しいですね!
先日で48作全て放送終了してしまいましたので、今後なかなか楽しみとなる映画が見つからなくて意気消沈していたところでしたから・・・。

今週月曜日は「第26作、寅次郎かもめ歌」、そして昨日は「第48作、寅次郎紅の花」でした。

男はつらいよ 寅次郎紅の花 DVD 男はつらいよ 寅次郎紅の花

泣きましたよ(・_・、)

寅さんファンとしては堪らない映画です。
主演の渥美清氏の病気による体力低下はどうしても見えてしまうのですが、それを只隠しにして寅次郎になりきる痛々しいまでの役者魂・・・、儚く悲しいストーリー・・・、それとは対照的な満男と泉との若々しい恋・・・、どれもが涙を誘ってしまいます。

あと残り3作の再放送も楽しみです。

※それにしても今日も秋田は寒いナ・・・。

2007年3月13日 (火)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅳ)

今日は先日の記事、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅲ)の続きです。

アフリカ系住民とのコンガ&ボンゴ船上センッションで気分良くリバティ・アイランドに上陸した私は、その二人と別れて自由の女神をアレコレ考えながら見ていました。

Stature_of_liberty
これがニューヨークの自由の女神、、、デカイ!

映画「海の上のピアニスト」ではこの像を指して“アメリカ!”と言われる程、象徴的な使われ方をされました。
この自由の女神(英語ではStature of Liberty)なる巨大彫刻はフランスから独立を記念して贈られた物らしいのですが、大きいです。

実に大きいです。

ホントに大きいです。(クドイ)

私はこの像を見た時にどうしても、ヒッチコック映画「逃走迷路」を思い出してなりませんでした。
主人公を追い駆けるスパイ(だったかな?)との息詰まる攻防の末、この自由の女神の上で行われる人間ドラマ、そしてエンディングシーン・・・。
実際にこの自由の女神の中に入って、像の中から外を覗くと・・・、
“ん~、なるほど・・・”と、思わず「逃走迷路」マニアを唸らせてしまうのでした。

さて、そんなこんなで自由の女神を後にして、今度は地下鉄に乗り込んでWTC(ワールド・トレード・センター)に向かいました。
残念ながら9.11事件で、現在このWTCはもう無いのですが、私がニューヨークに初めて行った時はかなりの人でゴッタ返しておりました。

(ここで改めてワールド・トレード・センター崩壊事件で亡くなられた方々に哀悼の意を表明すると共に復興を心からお祈りしています)

オノボリさん丸出しの東洋人は早速、展望台へと行きました。
“OH!、絶景じゃ~ッ!!”
360度ニューヨークの街が見渡せるフロアに感心しつつ、あっちへ行き、こっちへ行き、もうまるで3歳児です!
“オッ、あれはさっき行ってきたリバティ・アイランドではないか!”、
“オヤッ?、こっちはキングコングが登るエンパイア・ステート・ビルディングか!”、
なんて調子です。
おまけに1時間で360度グルリと回転するレストランなんて洒落た店もあります。
“おぉ~、ここは是非一度来て飯を喰わんとな・・・!”と、つい今朝まで落ち込んでいたのは何処吹く風の如く、ノリノリ状態になって観光しまくってしまいました。

さて、そろそろ日も暮れてまたもやジャズ・クラブへ行く時間になって参りました。
二日目のこの日は、BIRDLAND(バードランド)に行こうと決めていましたので、早速予約電話を入れましたが、生憎席は残っていないとの事・・・。
暫く電話帳片手に思案して、KNITTING FACTORY(ニッティング・ファクトリー)というクラブに行く事にしました。
この日の演奏メンバーは正直言って覚えておりません(悲)
それ程有名なミュージシャンではなかった筈です。
メンバー構成はテナー・サックスとトランペット、ピアノ、ベース、ドラムスといった典型的なフロント2管構成でした。
しかし、そのサウンドは強力でバップ・ナンバーを演奏したかと思うと、突如ギンギンのエフェクターを駆使した???のフリー・サウンドにも似た演奏に突入したり、
民謡風(フォーク・ソング風)の演奏から高速4ビートに突入したり・・・、とかなり刺激的なサウンドで聴衆を沸かせます!

その度にスッカリオノボリさんと化した東洋人は、
“オッ、そう来たか!”、
“あちゃ~、それをやられると・・・”、
“ワオ~、もう降参!!”

などと訳の分からないリアクションで演奏を聴き入るのでした・・・。
それにしてもこの日も改めて、ニューヨーク在住ミュージシャンの腕の確かさ、お客を沸かせるエンターティメント性の見事さ、どんな展開にも動じないキャパシティの広さを痛感するのでした。

翌日は待望の無料演奏会に出掛けますが、そこには私の尊敬するあの大物ミュージシャンが登場するのでした!

次回へと続く

※オォ・・・、それにしても昨日の秋田は寒かった!!最高気温が氷点下0.3℃でした!

2007年3月12日 (月)

悲しいニュース

いや~、先週悲しいニュースがありました!!

他の人から見たら“何、それ?!”、と思える事なのでしょうが、当の本人にとっては物凄いショックな事なのであります。

その悲しいニュースとは・・・

何と私の週一回のお楽しみ「にっぽんのマジョリティー」(NHK-BSハイビジョン番組)が来週で終了してしまうそうです!
これは私にとってはかなりのショックなのです!

実は私は大の「高橋美鈴」ファンなのです!

朝のNHKニュースのアナウンサーをやっていた頃からのファンですので、彼女が番組から離れた時も悲しくてなりませんでした。
やっと、毎週見れると思っていた「にっぽんのマジョリティー」だったのですが・・・。

これで彼女がレギュラーで出る番組は「N響アワー」しかなくなってしまいます!
我が家は地デジではないため、NHK教育テレビの受信状態が良くなく、画面にノイズがちらついてイケマセン!!
これではファンである私は納得出来ないのです。

折角ハイビジョンでたっぷり見る事が出来たのに・・・。

げにかなしきことよの~ッ・・・。(;>_<;)

※ところでこの高橋美鈴アナウンサーが韓国人女優のチェ・ジウに似ているって感じているのは、私だけかな・・・?
(リンクのNHKホームページの写真はチト似ていませんが)

2007年3月11日 (日)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅲ)

今日は先日の記事の続編、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅲ)です。

Village Vanguardでのトミー・フラナガン・トリオにショックを受けた私は、失意のうちにホテルへと戻り、時差の疲れもあったのか爆睡しました。

翌朝、気を取り直してホテル近くの喫茶店で遅めの朝食を取った後、“あ~、ニューヨークは何て所なんじゃ!同じ人間なのに何故あれ程のレベルの開きがあるんじゃ~!!”などと愚痴を洩らしながら、街中をブラブラと散策していました。

丁度近くにセントラル・パークがありましたので、
中に入って”(ー o ー) ぼけ~っ”としていたら、ベンチに新聞が置いてありました。

Central_park
これがセントラルパーク・・・天を突く摩天楼ビル群の中にこんな広大な敷地があるなんて

何気なしに取って読んでいたら興味深いニュースが載っていましたので、思わず目を見開いて熟読してしまいました!
記事によれば、何でも「明日マンハッタン音楽院で無料コンサートが開かれる」との事!
“オォ~!タダかよ!!”と、いきり立つ東洋人。

悲しいかな、タダという言葉に異常に弱い私は俄然元気を取り戻し、広大なセントラルパークの中をアチコチ見て回りました。
ここニューヨークにも桜の木はあり(当たり前か?)、思わず故郷秋田の角館を思い出してしまう始末。
さらに右往左往すると色々な記念館などもあり、思わずオノボリさん丸出しで入館してしまう私でした。
セントラルパークを堪能した私は気分もリフレッシュ出来て、晴れ晴れした気分で公演を後にしました\(⌒∇⌒)/
(実に単純!)

セントラルパークを出るとそこには観光用馬車があり、子供の頃の近所にいた馬を思わず思い浮かべる私でもありました。

さて、昼食を屋台のホットドッグで済ませてからは観光です。
ニューヨークの名所巡りの始まりです。

最初に訪れたのは、今やビッグ・アップルの顔ともなっている自由の女神です。
ここはリバティ・アイランドという島になっているため、車や徒歩では行く事が出来ません。(泳げば行けますが・・・)
船に乗船して行きます。
“オ~、結構人がいるな~!”と思いつつ、チケット売り場の列に行儀良く並んでおりましたら、何やら後ろが騒がしいので、振り返って見ると・・・
そこには体格の良い黒人がブラック・サングラスをかけてラジカセを片手に立っていました。
ラジカセからはヒップ・ホップ風音楽が♪ガンガン♪流れています。
皆、迷惑そうですが、相手は体格の良いチト怖そうな黒人お兄さんです。
誰も文句は言わせない雰囲気プンプンです。
勿論、体重は半分しかないだろう東洋人も文句は言えません。(悲)

暫くすると、今度はジャマイカ系(ドレッド・ヘアだったから)の黒人お兄さんが二人乗船して来ました。
しかもマイ・ボンゴを持っての乗船です(オイオイ、米国ってマイ・ボンゴOKなのかよ?!)

船はリバティ・アイランドを目指して出航しました。
水しぶきを上げて快調に自由の女神に向かって進んで行きます。
爽快な気分です。
と、ここで先程のマイ・ボンゴ・ジャマイカ系お兄さんがポコポコとボンゴを叩き始めました。
さっきまでは批判的に考えていたのですが、なかなか良い雰囲気です。
船の疾走感と良くマッチしています。
相棒は歌を歌い始めました。
ん~、聞いた事の無い言語です。
ジャマイカの方言なのでしょうか?、それともアフリカ系?
直ぐ傍らに立って耳を傾けていた私に、
”ヘイ、マン!ホエア・アーユー・カム・フロム?”と聞いてきました。
“えッ、わ・わたし??”、“ジャ、・・・ジャパン”と答えると、
♪ア~、ナントカ、ナントカ~、ジャパン~、ナントカ♪と、私をダシに勝手に創作&即興歌を歌うではないですか!
しかも、上手い!!(≧∩≦)キョエーッ

米国の音楽層の底辺の広さを目の辺りにした私は、軽いカルチャー・ショックを感じながらも、“エエィ、ここで怯んでは秋田県人の名が廃る(?)!!”と、訳の分からない解釈で勝手に決め付け、もう一台持ち込んでいたコンガを拝借して船上セッションとなるのでした。
(考えてみればこれが米国初演奏でした!)
当時の私は未だ複雑なパターンを叩けず、ドラムスのパラディドルの応用だけでしたが、楽しかったな・・・♪

すっかり、ジャマイカ系(実はアフリカ出身だそうです)お兄さんとも仲良くなり、周りには沢山の観光客に取り囲まれてセッションはリバティ・アイランドに着港するまで続くのでした。(そりゃ、そうだ。黒人と東洋人のリズム隊にドレッド・ヘアの歌手ですので、珍しいからね)

次回に続く

2007年3月10日 (土)

すごいぞ、鉄人!

やっと昨日先日米国で開催されたUFC68を見る事が出来ました。

Couture
これが私の好きなランディ・クートア

いや~、久々に良い試合を見せてもらいました!

格闘技好き、プロレス好きの私は毎回欠かさずバトル系の試合は見ているのですが、昨日のUFCは私の好きなRANDY COUTURE(ランディ・クートア)が昨年の引退から電撃復帰を果たすという事で楽しみにしていました。

対戦相手は友人でもある現ヘビー級チャンピョン、ティム・シルビアです。
この巨人相手に対してどう戦うのか?あれこれ頭の中でシュミレーションをしておりました。
リング(金網)上で対峙してみると、その体格の差は歴然としています。
身長では凡そ10cm、体重では凡そ20kg相手のティム・シルビアが勝っています。
まるで、巨人ゴリアテに対するダビデです!

そして一番問題なのは年齢差です。
ランディ・クートアが43歳に対してティム・シルビアは30歳、その差13歳です。

ワクワクしながら試合が始まりました。

うォ~、序盤からスンゴイ!
ランディのパンチがティム・シルビアの顔面を打ち抜きました!
たまらずダウンするティム・シルビア!
追い討ちをかけてグラウンドに引き摺り込むランディ!
・・・

もう、タマリマセン!!!

試合は終始ランディ・クートアが押し捲って5ラウンドフルに戦い、判定3:0の圧勝でした!

凄いぞ!鉄人、ランディ・クートア!!!

43歳のチャンピョンです。
この格闘技界に於いて若い現役バリバリ&エネルギー全開の選手の中で、43歳が王者になったのです!

いや~、私が初めて見たRINGSの大会でチームrawで来日した時からの注目選手でしたが、これでUFCヘビー級、ライト・ヘビー級、そしてまたもやヘビー級と三度王者になった事になります。

このまま王者でいると近いうちに、主戦場をUFCに移したミルコ・クロコップとの対戦が見られそうでとても楽しみです!
(でもミルコは腰が強いからタックルが効かないだろうな・・・)

それでも頑張れ!鉄人、ランディ・クートア!!

2007年3月 9日 (金)

マクドナルドで考える

今日近くのスーパー・マーケットに寄った際に、少し小腹が空いたのでマクドナルドでハンバーガーを注文しました。

Photo_8

ハンバーガーを口にしながら、ふと思い出したのですが・・・
この「マクドナルド」という名前、
英語で表記すると、“McDonald”となります。

他に似た名前は今考え付く範囲では・・・
◆マックィーン
◆マクダニエル
◆マッカーサー
◆マッカーシー
◆マッキントッシュ
◆マクファーレン

このマク(Mc)とかマック(Mac)という名前に付く接頭語は、北方系(アイルランドだったかな?)民族特有の息子の言い方だという事を聞いた事があります。

つまりマクドナルドはドナルドさん家の息子(Mc+Donald)、マクダニエルはダニエルさん家の息子(MC+Daniel)・・・などなど。

他には「フィッツ」もそうらしいのです。
女性ジャズ・ボーカルで有名なElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)なんかも(Fitz+gerald)ですからジェラルドさん家の息子となるみたいです。

そんな事を考えながらハンバーガーを食べていると、時間はアッという間でした。

そのハンバーガーもドイツ・ハンブルグで生まれたかと思いきや、実はロシアが発祥の地だという説(?)もあり、普段使わない頭を少しだけ使った一日でもありました。

2007年3月 8日 (木)

混沌とする秋田県

今日は少しだけお堅い話を。

現在私が住んでいる秋田県では新税(子育て・教育税)の導入が検討されています。
少子高齢化が加速する一方の我が秋田県では、税収入が不足して各自治体も逼迫した財政事情を抱えています。
そんな中、寺田知事が強行な態度で新税導入に向けた議論を交わしている状態です。

ここで、私が毎朝読んでいる秋田魁新報からの一説を紹介します。

「県当局の立場を「四面楚歌(そか)に近い状態」と表現する議員もいたが、なぜそこまで意固地にならなければならないのか。県民の負託を受けた県議たちが一様に慎重対応を求めているのである。
民意の発露として、県は発言を重く受け止めなければならない。

現在進めている形での新税構想は白紙撤回すべきあろう。」
http://www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20070308az

ん~、よくぞ言ってくれた!!
秋田魁新報エライぞ!

来月には県議の選挙も控えていますので、今後ますます焦点になってくるであろう題材です。

※今日も時間がなかったので、雪の写真は撮る事ができませんでした!
(そのうちに溶けて消えちゃうな・・・)

2007年3月 7日 (水)

招かざる客

昨日から招かざる客がやってきております。

そう、寒波です!ヾ(゚0゚)ノ

折角今まで暖かくて春はもう時期と考えていたのですが、やっぱり秋田はそう甘くはありませんでした。
またもや一面雪景色の冬の風景に早変わりしてしまいました!

今日は忙しくて写真も取れない状況なのですが、明日時間がとれましたらアップします。

あと一週間チョイで彼岸になりますので、その頃にはもう大分寒さも落ち着いて安定した過ごし易い気候になっている(?)とは思いますが・・・

※さっきまでストーブを消していたら部屋の温度は4℃になっていました。サブ~!

2007年3月 6日 (火)

お師匠様、ご降臨!

お師匠様が秋田にやって来る!(らしい・・・?)

ピアニスト、和泉宏隆氏の事です。

Takarajima

さっき秋田市のキャット・ウォークに連絡したら、未確定情報ながら5月に予定しているそうです。
聞いたら、先月も来たそうで忙しさに感けて、世間の情報をゲットしていなかった私は知りませんでした!!
(何たる不覚)

なので、次回5月公演には是非行きたいと考えておりますが・・・。

しかし、’06年12月・’07年2月・5月と来秋とは、なかなかの秋田通になっているかな?
全国でも有数の飲み屋のメッカ(人口に対する飲み屋の軒数が高い)秋田ですので、もしかしたらお気に入りの飲み屋を見つけたかな・・・?
(お師匠様に限って、そんな事はないでしょうが)

Kawabata
飲み所、秋田県最大の飲み屋街、川反。

何れにせよ、楽しみではあります!

※今日は吹雪。一日で冬景色に早戻りした秋田でした!

2007年3月 5日 (月)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅱ)

今日は昨日に引き続き、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編)の続きです。

さて、無事Village Vanguardに到着した私は予約した番号を言って入場しました。
“オお~・・・、これがかの有名な数々の名演を残したヴィレッジ・ヴァンガードか・・・!!”とおのぼりさん丸出し状態で店内をキョロキョロ見渡しました。
壁のいたる所にあの有名ミュージシャンの音が染み付いているようで、当時熱狂的なジャズ・ファンだった私は伝説の1ページに飛び込んだかのような錯覚さえ覚えました。

Villegevanguard_1

暫くすると若い金髪のウェートレスが注文を取りに来ました。
ハイネッケン・ビールを頼んだ私は今や遅しと演奏を待っていました。
そのうちに、あのピアニスト:トミー・フラナガンが姿を現し、続いてジョージ・ムラーツ、カール・アレン(やっとドラマーを思い出しました!)が席について、いよいよ演奏が開始されました。

いきなりのアップ・テンポの演奏でも全く乱れは感じず、初曲からバリバリ・ゴリゴリのバップ・フレーズが飛び出します。
(トミ・フラは少しコロコロといった音色ですけど)
トミ・フラのソロに続いてはジョージ・ムラーツのベースソロ、これも素晴らしい!
まるで音程がフレット楽器のように正確です。
とてもフレットレスなんて思えません!
ジョージ・ムラーツのソロが終わると、カール・アレンを交えた4バースへと突入して参ります。
もうリズムなんてあって無いが如き、フリーとさえ思える空間支配を見せるカール・アレンなのですが、続く奏者はまたピッタリと頭を合わせて合奏が始まります!
“ギョエ~ッ、何じゃこの人達は・・・!!”と開いた口が塞がらない程の衝撃を受けました。

圧倒された演奏の後、短いMCを挟んでは曲名紹介も無く即演奏をし始めます。
バラードあり、ブルースあり、メカニカルな曲ありであっという間に1セットが終了しました。
“こ、こ、これが、ニューヨーク・トップ・ジャズメンの演奏か・・・”と暫し呆然として動けない私。
頼んだビールも飲み干し、更にもう1本追加オーダーした私は己の考えの浅はかさ&実力の無さを痛感し、もうヤケ気味になっていました。
30分位の休憩を挟んだら2ndセットの始まりです。

ここでもとても3人だけの演奏とは思えない厚みのある演奏、深淵なる音世界を披露してくれます。
一人一人の技量の確かさ、ジャズに対する真摯な姿勢、お客に対するエンターティメント・・・、2dnセットも衝撃的演奏を聴かせてくれて感動のうちに終了しました。
アンコール曲もサービスで聴かせてくれて大満足でしたが、ニューヨーク初日から精神的ダメージが大きく、半ば呆然として店を後にしました。

店を出て数メートル歩いていると、何やら後ろで女の声がします。
“何だろう?”と思って後ろを振り返ったら、先程の若い金髪のウェートレスではありませんか!

“ヘイ、そこのジャパニーズ!”

“エッ、私?”、“私を呼んでいるの?!”
と思いましたが、別にデートの約束をした訳でもないし、
“私じゃないだろうな”と思ったのですが、どうやら私のようです。

“ホワッツ・ザ・マター・ウイズ・ユー?”と聞くと、

“あんた、チップ払っていないよ!”と、若いウェートレス。

そう、ここは米国、チップの国だったのです!!
先程の演奏にスッカリ圧倒されて意気消沈した私は、チップの事などスッカリ忘れてしまっていました。

“ソーリー”と彼女に謝ってチップを渡した東洋人は、再びホテル路へと向かうのでしたが、フト、
“なんでチップなんてモノがあるの?”、
“なんで客である私が謝るの?”・・・、
と東洋には無い習慣に戸惑いを隠せませんでした。
(彼女たちはそのチップが貴重な収入源ですから、態々追いかけてくるのは当たり前なのですが・・・)

まあ、そんなこんなでジャズ・クラブをハシゴするなんて当初の目論見は水泡と化し、敗戦の将の如きダメージを抱えてニューヨーク初日の夜は終わりを迎えるのでした・・・。

次回に続く

2007年3月 4日 (日)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編)

今日はニューヨークについて書きます。

この世界に名だたる国際都市ビッグ・アップルはジャズのメッカという事もあって、長いこと私の憧れの地でもありました。

初めて訪れたのは、もう15年も前になりますでしょうか?
当時の私は未だ20代の若造に過ぎず、ニューヨークの持つ都会の雰囲気に圧倒されながらもJFK空港に降り立ちました。
飛行機内で聴いたガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」に心躍らせて、いざ米国挑戦の始まりでした。

Jfk
空港前にはイエロー・キャブが一杯!

先ず第一印象は英語が早口で聞き取り難かった事でしょうか。
話すスピードが都会のためかどうかは分かりませんが、皆ペラペラ(?)と秋田県人の事など一切お構いなしで話します。
“こちとらニッポン人でェい、しかも秋田県人なんだ~”とは、一切関係ありません!(当然ですが・・・)
空港から市内に向かうタクシーのドライバーは頭に白いターバンを巻いたインドからの出稼ぎ(?)ドライバーです。
同じ亜細亜人同士、たどたどしい英語で何とか会話をしてホテルへチェック・インしましたが、ホテルがニューヨーク・ヒルトンだったためフロントが大忙しで、輪を掛けて早口で(まるでガトリングガンの様な速射砲で)秋田県人を苦しめます。

“ん~、初日からこの調子では先が思いやられるな、こりゃ”と、先制ジャブでダメージを食った私は気分一転散歩に出掛ける事にしました。
夜はジャズ・クラブをハシゴするべく決めていましたので、近場のブロード・ウェイへとフラフラ徘徊をして来たのですが、もう気分はスッカリおのぼりさんです!

Broadway
こ、こ、これがブロード・ウェイってヤツか・・・!

まあ、秋田のド田舎者ですから子供の頃からテレビや雑誌で目にしていた、あのブロード・ウェイの通りを私が歩いているのですから無理もありません。
東京とは違う大都会の街の雰囲気に圧倒されているうちに、スッカリ日は落ちて夜の闇に燦然と照らされるブロード・ウェイ・ストリート。
もう~、格好良いったらありません!!

そんなこんなで、瞬く間にジャズ・クラブへと行く時間になってしまいました。
近くのマクドナルドでハンバーガーを食べ、腹ごしらえしたら直行です。
お目当ての店は、そう有名な「Village Vanguard(ヴィレッジ・ヴァンガード)」です!
この日の出演はピアノ:トミー・フラナガン、ベース:ジョージ・ムラーツ、ドラムス:黒人(?)忘れました、のピアノ・トリオでした。

Villegevanguard

ライブの内容やこの夜のハプニングはまた明日書きますね。

そう、実は眠いので~す。
何だか最近は寝不足が続いています。
今日も睡眠時間は1時間半でした。
売れっ子タレントでもあるまいし、何でそうなのかと申しますと・・・
実は私の隣の家でニワトリ小屋の修理をして朝からハンマ片手にトンカン・トンカンとやっているのです。

そう、私は秋田の超ド田舎に住んでおりますので動物(家畜)とはお友達なのです!
今は流石に見かけませんが、私が子供の頃には馬・牛・豚・鶏・・・は当たり前のように何処の家でも飼っていました。
現在、隣の家では鶏だけ飼っていますので、朝は“コケコッコー”という泣き声で目覚めるのです。
そんな住宅環境ですが、両隣とはほぼ隙間無く隣接していますので、音は聞こえてしまいます。
(でも夜中でも平気でピアノを弾いてしまう私なのですがね・・・・)

2007年3月 3日 (土)

名前について

今日は少しだけ時間があったので皆さんのブログを拝見していたら、橋本隊長さんがこんな記事をかいていらっしゃいました。

あんまりだと思う

昨日の夜、TVで、"育てられない赤ちゃん"(と母親?)を救うための緊急手段として熊本市が「赤ちゃんポスト」を設置したという報道をしてました。

. . . . . し、しかし「あ、赤ちゃんポスト」って . . . .. . ポ、ポストって . . . . (汗)
もうすこし言いようがあるのでは??(VOWか?熊本市!)
た、たとえばたとえばだけど「命のゆりかご」とか、、、
っていうか、まじめに考えればきっともっとやさしいというまともな言葉、ネーミングを考えることが出来ると思うのですが. . . .

行政のセンスの無さなのか?

施設もコインロッカーみたいだし、、(なんか犬とか捨てていく人とか出そう:汗)
「コインロッカー・ベイビーズ」のほうが大きくなってから、「赤ちゃんポストに入れられてた」っていうよりまだクールかもって思っちゃうです ;;

(*今コメントに詳しい情報をいただきました。わたしは設置には基本的には賛成かなって思うのですが、見るともなくつけていたテレビから「赤ちゃんポスト」っていう言葉がきこえてきて「ポスト」という言葉に衝撃受けてしまいました。不真面目に聞こえたらごめんなさい〜あと、ブルセラ症も難しい問題だと思います。by ichiko
**またまた情報をいただきました!!
「赤ちゃんポスト」正式名称は「こうのとりのゆりかご」というそうです!!なんだか安心しました。
しっかり調べてから書かないと、こういう話題は危険ですね(汗)でも、勉強になりました!反省と共に、皆さまありがとうございました!!

http://ub-x.txt-nifty.com/blog/2007/02/post_f46c.html


そうですよね。
名前って大事だと思います。
私はこの記事を読んで「ドリームボックス」を思い出してしまいました。
例の動物やペットを処分する機械室の別称です。
詳しくは→こちらをご覧下さい。
(ここの広島県三原市は大したもんだ! 是非我が市でも見習って欲しいモンです)

愛情込めて飼っていた動物を、例え止むに止まれない事情があるにせよ処分しなければならないのは飼い主にとっても辛いでしょうが、その飼い主を信じて待っている動物達、そして処分をする職員達の心情を察すると・・・、
何とも言えない遣る瀬無さを感じてしまいます。

私が思うに、せめて名前だけでも希望の持てる名称にしようという事で「ドリーム・ボックス」と名付けたのではないかと愚察してしまうのですが・・・。
残念ながら未だ「ドリーム・ボックス」を拝読しておりませんので、詳しい事は分かりません。
今度しっかり読んでみます。

でも、日本人って言霊信仰が根強い民族なのでしょうね。
・・・
名前って大切ですよね。

ウォ、今日は雛祭りデーだった。
メリー&ハッピー雛祭り!!

2007年3月 2日 (金)

電動チェンソー・カービング完成!

やっとカービングネタが書けます。

昨年末よりカービングバーをマキタに取り付けるべく、改良に改良を重ねて遂に完成しました!
少ない時間の合間を縫っての打ち合わせやら、加工やらでなかなか大変でした。
いや~、苦労したなッ!
やっぱり、住宅環境がある程度良くなければカービングは難しいですナ。

で、完成したのがこちら。

Img_0003

Img_0001

マキタに新ダイワの歯を取り付けました。
スプロケットはハスクバーナーを加工して交換しました。
(本当はエンジン・チェンソーでガンガンやりたいのですが)

試しに少し削ってみましたが、思った程違和感はありませんでした。
これで、ギュンギュン削れるかと思うと嬉しいのですが、
・・・時間が・・・。

時間がなかなか思うように取れない!!

Img_0005

最近はピアノさえ弾く時間もありません(悲)

困ったモンだ!
ド~シヨかな?

2007年3月 1日 (木)

今日から3月

今日から3月です。

何の関係もありませんが、もう毎日メールのチェックでもの凄い時間を取られている秋田杉です。
少しだけ私のメールを紹介します。
実はこんな風になっています。

Mail01a
上は少し前の日付のgooメールです。
(日付とその受信時間に注目して下さい)
2/24って言ったら土曜日ですよ。もう、全く!

そして、

Mail02a
こちらは同じ日のlivedoorメール

そして、

Mail04a
こちらも同じ日の別のフリーメールです。
しかもタイトルが文字化けして内容が開かないと分かりません!

Mail03a_1
何だ~、この宇宙人語は!?

それにしても最近はトラックバックにスパム紛いの物が多くて困っています。
ブログをやっている皆さんはどうですか?

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