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2007年2月22日 (木)

ふらんす事情・・・地下鉄編

今日はフランスはパリで活躍するミュージシャンの話をしたいと思います。

何処の大都会でも市民にとって無くてはならない公共交通手段として、地下鉄があります。
フランスは、パリも然り。
市民の足として重要な役割を果たしているのが地下鉄です。
市内縦横無尽に張り巡らされた電車網は、市民にとっては必要不可欠な交通手段となっています。
私がパリを初めて訪れた20年前、地下鉄車両はあちこちに落書きが描かれ、駅構内は暗く決して治安という面から考えれば良いとは言えなかったと記憶しています。
しかし、毎日多くのパリ市民や観光客が(無愛想な?)駅員からカルネと呼ばれる回数券を購入して利用していました。

Carnet
これがカルネ

当時地下鉄各駅にはストリートミュージシャンたちがあちらこちらに出没して、勝手気ままに演奏するため、色々な音楽の音が混ざり合い、果たして何を聞いているのか?さえも分からない程、うるさかった記憶があります。
当然、向こうでガンガンラテン音楽を演奏しているのであれば、クラシックのコーラス隊等はひとたまりもありません。
対抗策としてメンバーを増やして演奏する等をするものだから、競い合って、競い合っての悪循環を繰り返してしまう有様でした。
そしてその騒音が、一種の社会問題となっていました。

パリ地下鉄当局はその騒音を一掃すべく対策を打ったのですが、これといった効果が現れずに頭を悩ませていました。
そして遂に一定のルールで地下鉄ミュージシャンを認める方針に変換しました。
勿論ルールがありますので、誰でも彼でも演奏して良いとななりません。
厳しい(?)審査をパスした者だけが認められるようになりました。

毎年一回、地下鉄当局のスタッフが審査員となり、ストリートミュージシャンのオーディションを開催して、音楽のジャンル、レベル、人格等、ありとあらゆる角度から審査が行われるようになりました。
(ここではフランス特有のコネを利用した作戦は通用しません)
審査を通過したミュージシャンには、どこの駅でも自由に演奏が認められる許可証が発行されます。
有効期間は一年で、翌年またオーディションを受けなければなりません。
地下鉄ミュージシャンの中には趣味でやっている人、生活をかけている人、プロ演奏家への道を切り開こうとしている人、等・・・様々です。

駅構内で演奏する人も多いのですが、地下鉄車両内で演奏するミュージシャンもかなりいます。
皆毎日の演奏で手馴れていますが、なかなかのレベルです。
面白いのはいきなり演奏するのではなく、前口上を述べて注目を惹いてから演奏するスタイルが多い事です。
勿論乗客からお金を貰いますので、その言い方にもチョットしたテクニックがあるのですが・・・。
丁度、映画「男はつらいよ」で寅さんが、“私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します。”と言う感じに似ているでしょうか?
これを言うことでグッと乗客の注目度が高まります!
そして大体一回2~3分の演奏で平均200円位、乗客からチップが貰えます。
一度演奏したら別の車両に乗り換えて、同業者がいない事を確認してからまた演奏を始めます。
これを繰り返すと大体1時間で2,000円位でしょうか?
ズッと立ちっ放しの仕事ですので辛く、ストレスやら、批難中傷やら、ヤジやらがあって少し大変ですが一日1万円位になります。
(フランス人は意外と暖かいです)

しかし、ライバルはとても多く、東欧から来るミュージシャンの中には、かなりのレベルの演奏者も含います。
経済状態が悪化して苦しいためにフランスへ出稼ぎに来ているのですが、パリ市民はクラシック音楽好きな方々も多いため、かなりのチップが貰えます。
私が一度聴いたバイオリニストはパガニーニの難曲を披露して、ヤンヤヤンヤの大喝采を浴びていました!
(きっと良いチップを貰っただろうな・・・)

パリに行く事がありましたら、是非地下鉄に乗って、地下鉄ミュージシャンを聴いてみて下さい!
(良かったらチップもあげてね)

2007年1月17日 (水)

ふらんす事情・・・その2

前回ざ~ます言葉でとても疲れてしまったので、今日はいつもの調子に戻しちゃいました。

ふらんす事情・・・その2です。

今回はパリの街について書きたいと思います。

ご存知の通りパリの街は歴史的建造物が数多くあり、道路には石畳も多く敷かれています。
まあ、シャンゼリーゼ大通りは舗装されて道幅も広く、いわゆる都会の道路に相応しいのですが、車が入れない細い路地や裏道は昔からの石畳が未だに現役で活躍しています。

この石畳がパリの古い街並みとマッチングしていて、パリをよりパリらしく見せる役割を担っているのではないか?とも考えたりもします。
冬の朝は明けるのが遅く、朝7:00でも未だ暗くて、街灯の灯り無しでは足元が覚束ないのですが、私は早朝に散歩をするのが好きでした。
特にお気に入りのコースは、エッフェル塔からセーヌ河沿いに自由の女神までのコースでした。

Seine20
エッフェル塔~自由の女神と続くコース
(写真右側ニッコー・ド・パリなどの高層ビルが立ち並ぶコースがお気に入り)


セーヌ河を挟んで対岸に昔ながらの街並みが見えるこのコースは、朝のうちはそれ程人通りも多くなく、ひっそりと物思いに耽ってセーヌ河の流れの音に耳を澄ませれば、人生を諭してくれるような錯覚がして好んで歩きました。

愛犬を連れて散歩している老人、
出勤前のジョギングをしているサラリーマン、
朝食をパン屋に買いに行くであろう主婦・・・、
みんな思い思いに薄暗いパリの朝を楽しんでいる気がしました。
“ボン・ジュール”と、声を交わすと、そこは粋なパリ人、“ボン・ジュール”、“サバ?”と気さくな返事が返って来て、爽やかな一日の始まりとなるのでした。

私もパン屋で朝食となるパンを購入し、かぶりつきながら散歩を終える事も多くありました。

Seine30_1
朝と夕暮れが特に美しいセーヌ河の風景(セーヌにはセピア色が良く似合う!)

セーヌ河には様々な思い出があるのですが、それはおいおい書いて行きたいと思っております。

さて、今度はエッフェル塔です。

Eiffel20
特に夜景が美しいエッフェル塔

建設当時は批難の的とされてきたエッフェル塔も、現在ではすっかりパリの街の風景として溶け込んで一大観光スポットとなっています。
いつ行っても世界中の観光客が列を作って入場を待っています。

でも、忘れちゃならないのはパリは北の街だという事です。
緯度は北海道札幌市より少し北にあります・・・つまり、とても寒い!という事です。

実は私もこのエッフェル塔に入場しようと思い、冬の寒空の下、行列に加わって並んだ事がありました。
その時の体調もあったのでしょうが、秋田生まれの私でも寒くて寒くて、震えが止まらず、遂には悪寒が背中を縦横無尽に走り回って、目の前が暗くなりかけた事があります。
幸いにしてこの時は程なく入場出来て、速攻中にあるカフェに駆け込んで身体を温める事が出来ましたから、大事には至らなかったのですが・・・。
ともかく冬の寒さは厳しいモノがあります。

Eiffel10
エッフェル塔を下から眺める・・・その大きさと、漆黒の空とのコントラストの見事さにボーとする

でもこんな綺麗な眺めはパリならではなのかも知れませんね。
(ラスベガスにあるホテル“パリ”のエッフェル塔では、チト味わえないかな・・・?)

エッフェル塔の展望台から眼下にパリの街を見下ろし、暫しこの街が辿って来た歴史に想いを馳せる・・・
ん~、つくづくオノボリサン気分です。

さて、余り裏話をしていなかったで、ここで少しまともに話します。

先ずはフランスは芸術性を重んじる文化土壌がある事に端を発しているのでしょう。商業主義を少し軽蔑するキライがあるように思われます。
この事はアメリカに代表されるビジネス優先主義とも相容れない事が多いと思います。
そのため、放送に関わる各メディアは芸術性、文化性を第一義として、本来は優先されるであろう利益重視を二次的な物として扱っている感があります。
それを後押しするように、フランスには外国語を規制する法律があります。

商品広告には商標名を除いて全てフランス語で表記せねばならず、外国製品には必ず翻訳説明を付けねばなりません。

そして音楽は、放送メディアを通して発信される場合、外国音楽は一定の範囲内に収めなければなりません。(確か20%以内)
この様に外国語に関して様々な規制があります。

これは良し悪しの問題ではありません。
その国民に受け継がれている民族的意識、誇り、将来への希望などの問題でしょう。
フランス人は己のアイデンティティーに対する意識が高く、祖先を大事にし、誇り高い生き方を選択する事を好むと思います。
“元々、英語はフランス語を借用して出来た言語である”という意識もあるのかも知れませんが、ともかく色々なところで英語は

“No English!”

といって拒絶されるケースも多いのも事実です。
パリの様な大都会ですら英語に対する拒絶反応がありますので、名前の無い様な小さな村や集落では・・・、押して知るべしです。

フランスがアメリカ文化を批難する時によく使う“文化帝国主義”には、この様なフランスのお家事情があるのです。
その一方のアメリカはヒスパニック系によるラテン化への防衛に必死(英語防衛運動)になっていますし、・・・

ん~、お家事情色々あるもんですな!

さて、今日はフランスを代表する作曲家のこの曲を

ドビュッシー作曲:二つのアラベスクから「アラベスク第一番」
演奏:秋田杉

「debussy_arabesque_no.1.mp3」をダウンロード

お楽しみ下さい!

2007年1月14日 (日)

ふらんす事情・・・その1

おふらんすでございます。 (o^。^o)
ぼん・じゅ~る♪でございます。 (●^□^●)
とれ・びあ~ん♪でございます。 )^o^(

今回はそんなおふらんすはパリ事情でございますの、オホホ・・・
あ~ら、ごめんあ~そばせ。(*^о)ゞ オホホ・・・

世界にはたくさん都がございますの。

霧の都「ロンドン」
芸術の都「ウィーン」
水の都「ヴェネツィア」
永遠の都「ローマ」
美人の都(?)「秋田」・・・

そして、花の都「パリ」なのでございますの。
(えっ、花の都はフィレンツェじゃないかって?、おだまり!そんな事は知りませんの!オ~、ほッほッ)

先ず今日はヴェルサイユ宮殿をお話しするざます。

Chateau_de_versailles
ヴェルサイユまではパリ市内から電車を使ってVersailles Rive Gauche(ヴェルサイユ-リブゴーシュ)駅下車が便利でございますの。
Versailles Rive Gauche駅からは直線でヴェユサイユ宮殿まで行けますことよ。
途中にはマルシェ(市場)があり、季節の野菜や果物、花やハーブや香辛料のお店もあるので、お楽しみになれると思いますわ (^o^)v

宮殿内はそれはそれは広~ございます。

Mirrors1_1
有名な「鏡の間」もございますことよ。

Louis14
あの有名なルイⅠⅣ世もこちらのご出身ですの。

そして、あの広い宮殿中にはトイレはありませんの!
オ~ほっほっほォ!
だから予め入口付近のトイレに行っておく事をオススメしますわ。(チップ必要)
だって、出口付近のトイレはとっても混むんですもの。
あら、失礼っ!

でも、昔のおふらんすのトイレ事情はとっても悪くて、それに纏わる逸話が山のようにありますのよ。
いつかお話し出来るかも知れませんざますわね。

Jardin_de_versailles1
宮殿のお庭もとっても広いざますの。
いつ行っても手入れが行き届いていて、とても綺麗ざます。
流石は世界遺産ですこと!

ルイⅠⅣ世がマリー・アントワネットのために建設したプチ・トリアノンは離宮ですから、ここからもう少し離れた所ありますの。
そこもとっても綺麗ざますわよ。

どう、参考になりましたざましょうか?(なる訳ないか)

オ~ほっほっほォ( ̄Oノ ̄*)オ~ほっほっほォ

今日はそんなおふらんすに敬意を表して(?)この曲を。

ラベル作曲:「水の戯れ」、演奏:秋田杉(中間部~後半部を抜粋)

「ravel_jeux_deau.mp3」をダウンロード

お楽しみ下さい!

※ざ~ます言葉は疲れました(=_=;)

2007年1月13日 (土)

ナポリは雨だった!

1/6の記事「シチリアへの憧憬・・・その4」の続きです。

ナポリは雨。

雨のナ~ポリ。

シトシトと降る雨の中をナポリ中央駅まで、ホテル「カブール」から徒歩1分。
今日は近郊の町、ポンペイへ遺跡へ出発です。

駅前にタムロする訳の分からないジャンキー連中を無視して、
二等席切符を購入して、イザ出発!

頭の中は例のフニクラ鉄道のメロディがノン・ストップで流れています。

♪ 行こう、行こう、あの山へ~
フニクリ、フニクラ~ ♪

南下するに連れて雨は治まり、ポンペイ近くになったらスッキリと晴れていました。

程なくしてポンペイ駅へ到着。
思いの他、質素&殺風景な駅前です。
駅に隣接しているバールでアランニーニを買って、頬張りながら遺跡を目指します。
地図も何も無いので場所が分かりませんが、適当に駅前から真っ直ぐ延びている通りを進むとそれらしき入口を発見しました。

綺麗なイタリア娘から入場券を購入してゲートをくぐると、
そこには2000年前のイタリア住民の生活がありました!

先ず、初めに私を出迎えたのは古代闘技場!

Pompei10

「ん~」、「・・・ここで闘剣士が闘わせられたのか・・・」
「どういう思いだったんだろう・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

なかなか言葉が出てきません。

広い観客席に腰を下ろして2000年前の景色を想像するだけです。

闘技場を後にして街中へと足を進めると、
2000年前の生活を直に感じる事が出来ました。

馬車の通行で窪んだ石畳、
壁に残された落書き、
パン屋の石臼、
ワインが入っていたであろう貯蔵庫、
雨水を溜めておく貯水堀、
床を飾るモザイク・・・、

全てが2000年前そのままに封印されていました。

昔から「この目で見たい!」と思っていた“ポンペイの赤”も存分に見る事が出来ました。

広場には向かって行くと、
そこは恐らく政治の中心地だったであろう巨大なモニュメントがありました。

Pompei20

更に右に折れると、庶民の憩いの場であった公共浴場があり、
当時の生活が伺えます。

暫く中を見学していると信じられないモノを目にしました!

何と、当時ベスビオ火山の噴火から逃げ遅れた人の石膏です!

Pompei3

ベスビオ火山の噴火の凄まじさをマザマザと見せつけられ絶句するしかありません!

♪ 行こう、行こう、あの山へ~
フニクリ、フニクラ~ ♪
などと、お気楽にフニクラ鉄道のメロディを歌っていた己自身を恥じて、日本式の合掌をして、その場を後にしました。

その後も見学して回ったのですが、どうも先程の石膏が頭から離れず、何を見ても悲惨に映ります。

複雑な思いを抱いてナポリへと戻りました。

ナポリ中央駅に到着すると、またしても雨です。
朝出発する時と変わらずにシトシト降っています。

そんな雨の中を「スパッカ・ナポリ」へと出掛けました。いわゆる庶民の下町です。
逞しく生きるナポリっ子の原風景を垣間見た気がします。

その後、Castel dell' Ovo(卵城)を見て、ナポリ湾沿を散策し、ここでホテルに帰ると良かったのですが、どうしても行きたい場所がありました。(それが不思議体験の始まりだったのですが)

そこはNAPOLI SISTEMA MUSEOです。

ここに収蔵されている名画をどうしても見たくてタクシーを飛ばして駆けつけました。
閉館時間までそんなにありません。
駆け足でお目当ての絵画を見るしかありません。
どうにか、お目当ての絵画を見る事が出来た私は大満足でホテルに戻るべく、外に出ました。

が、生憎外は雨です。
それも大雨です。
土砂降り状態です。
おまけにすっかり日も落ちて真っ暗です。

私は傘を持っていなかったので、博物館中の公衆電話からタクシーを呼んで待つ事にしました。

・・・5分経過・・・、

・・・・10分経過・・・・、

・・・・・20分経過・・・・・、

・・・・・・30分経過・・・・・・、

一向にタクシーは来ません。

「どうなっとんじゃ~!!」と、激昂し、
「ええ~い、来ないタクシーなんぞ当てに出来るか!」と、土砂降りの中、近くにあったバールに入ってバス停の場所を聞きました。
歩いて5~6分の所に駅前行きのバス停があるそうなので、ダッシュして向かいました。

「おお~、あった、あった!」と、バス停を発見して雨の中、暫く待っていると
駅前行きバスがやって来ました。

「やれやれ」と、胸を撫で下ろしバスに乗り込みました。
乗客はナポリ人と思わしき方々が5、6人です。
バスは順調に雨のナポリを走り、数回バス停で乗客の乗降を繰り返した後、突然、

運転手「え~、皆様本日は当バスをご利用頂きまして誠に有難うございます。この先、事故が発生しましたので、これより当バスは高速道路を経由して駅前まで直行いたします。ご都合の悪い方がいらっしゃいましたら、お申し出て下さい」

とナポリ方言丸出しで、アナウンスし出しました。
(ナポリ方言が良く分からない私はそう理解しました)

「何ッ!」と仰天する私。

「あんた、そんな事言ったって・・・」
乗客も多少ざわついていましたが、そんな事はお構いなしに

運転手(嬉しそうに)「いらっしゃいませんね。では、これより高速道路に入ります!」(^ー^)

と、雨のナポリ高速に突入するのでした。

運転手は恐らく生粋のナポリ人です。
高速道路に入ると今までの市内運転が嘘のようにカっ飛ばします。
アクセル全開です。
猛然と疾走します。
車線を右に、左に、バンバン前の車を追い越して行きます。
130~140キロは出ているでしょう。
車窓から見えるナポリの夜景がドンドン変わって、物凄いスピードで流れて行きます。
「・・・・・・」
怖いです。

20分位走ったでしょうか、
運転手もストレス発散出来たのか(?)、
高速道路を降りて一般道路に入り、程なくしてナポリ中央駅前に到着しました。

運転手「皆様、大変お疲れ様でした。当バスは無事ナポリ中央駅前に到着しました。どなた様もお気をつけてお降り下さい。またのご利用をお待ちしております。」

と、再びアナウンスがありました。

「ってあんた、あんたどうして先が事故だって分かったの?」、
「あんた単純に何か面白くない事があって、ストレス発散のために高速道路でカっ飛ばしただけじゃないの?」
と思ったのですが、疲れきった東洋人は無事到着した事が嬉しくて、ソソクサとバスを降りるのでした。

それにしても不思議な(?)体験でした。他の国では考えられません。
東京だと都内路線の都バスが新小岩から新宿駅まで高速道路を使って行くようなものです。
(しかも通常料金で!)

不思議な体験をした秋田生まれの東洋人はホテルに戻り、翌日は慣れ親しんだローマへと帰るのでした。

でも、やっぱりナポリ駅前の喧騒は相変わらずで寝不足でした!(ρ_-)/

※ナポリ式の道路横断に慣れてしまって、翌日ローマでやってしまったら、クラクションの嵐&批難轟々の目に会ってしまいました(当たり前だっちゅ~の)

2007年1月 6日 (土)

シチリアへの憧憬・・・その4

昨日の記事「シチリアへの憧憬・・・その3」の続きです。

タオルミナで一晩過ごした翌朝は爽やかな朝を迎えました。
天気は快晴、気温・湿度とも文句なしの絶好の朝です。
ホテルのオープンテラスで朝食を取った後は、お目当てのギリシャ劇場へと向かいます。
フロントでギリシャ劇場の場所を聞くと、何とホテルの背中にあるそうです。
(歩いて30秒~1分)

開場と同時に入場し、またも絶景のロケーションに感激して、
ぼんやりと「この劇場ってギリシャ劇場と言うくらいだから、ギリシャ統治時代の建造物だよな・・・」、
「って事は紀元前か!」、
「今から2000年以上前にあの急な丘を登って、この劇場を建設したっていう事か?!」、

「・・・・・・・・・」

と余りのスケールの大きさに圧倒されて、ただ平伏すのみでした。

Taormina20

エトナ山の方に目を向けると、
「エッ!何あれ!」と目を疑いたくなる建物がありました。

遥か遠くの山の中腹に白い建物が・・・。

後で聞いたらそれは城だそうで、その周辺にもカステルモーラという町があるそうです。
その町にはタオルミナの旧市街地への道よりもっと細い道をバスが通っているそうで・・・。
話を聞いているだけで頭がクラクラして来ました。
この丘の上に石造りの町や劇場を築いただけでも圧倒されているというのに、
更にこの先の山にも城と町を築いたというのか・・・。(絶句)
いやはや何ともスケールの大きいと言うか、
古代人の情熱と言うか、
言葉が見つからないままギリシャ劇場に寝そべる私でした。

さて、タオルミナに圧倒されて満喫した(?)私は、
11:00のバスでカターニャに移動するべく昨日到着したバスターミナルへ向かいました。
バスは11:00定刻通りに一路カターニャ空港に向けて出発です。
所要時間は1時間20分。
タオルミナの坂道を下り、駅前を通過して、タオルミナとエトナ山を後にしました。

ほぼ定刻通りにカターニャ空港にバスは到着し、
ナポリ空港へ出発するために搭乗手続きをしていたら、
係員が済まなそうな顔で、

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

係員「お客様、誠に済みませんが整備に不具合がありましたので出発は1時間遅れになります。よろしいでしょうか?」

と聞いてきました。

「仕方ないですね。分かりました。」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

と答えるしかありません。

手続きを済ませて、出発ロビーでビールでも飲んでユックリしようかな?
と考えていた私は手荷物検査を通過してロビーへと向かったのですが・・・。

そこは人、人、人で立錐の余地も無いほど溢れかえっていました。

「何じゃ、こりゃ~ッ!」と、思わず故松田優作口調になり、呆然とする私。
聞けば2時間待ちの人も多く、皆疲れて諦めムードが充満していました。

「んまァ~、最後にまたしてもシチリアにやられてしまった!」、
「こんな事だったら船にすりゃ良かった!」と、
秋田生まれの東洋人は嘆くのでした。

ようやくナポリ行き搭乗アナウンスが鳴って搭乗出来ましたが、
時間は1時間30分遅れでした。

ナポリ空港に降り立ったら、そこは雨。
雨のナポリです。

空港からバスに乗って市内へと向かったのですが、未だホテルを決めていませんでした。
ナポリもこの時が初めてでしたが、「まあ、中央駅周辺であれば何とかなるだろう」
と考えて駅前に向かいましたが、
このバスの運転手が凄い!
前の車との車間距離を殆ど開けずにビュンビュン飛ばして運転します。
(私には前の車を煽っている風にしか見えませんでした)

そして通行人も凄い!
横断歩道なんて洒落たものはナポリに無いから、
高速で走行する車と車との僅かな隙を見つけて、ダッシュして道路を横断します。

殆ど自殺行為に近いです。

スリリングなドライブを楽しんで(?)バスは終点、ナポリ中央駅に到着しました。
傘も無くコートの襟を立てて、シトシト降る雨に濡れながらホテルを探して、
駅近くのカブールと言うホテルに宿を取りました。
「あ~っ、やっとこれで一安心!」と思い、荷物を部屋に置いて夕食に出かけました。

「ここはピィッツァの本場ナポリ。やっぱピィッツァしか無いでしょう!」と、
ピィッツァ屋を探して市内をうろつき、それらしき店を発見しました。
店名はDa Michele(ダ・ミケーレ)。

店前は入店待ちしているお客もいて、なかなか繁盛している様子です。Napoli_pizza_1
暫く待った後、入店しましたが、メニューは2品のみ。

至ってシンプル!

ピィッツァ・マルゲリータとビールを注文して、ほんの2~3分で直径30~35cmはあろうか
(メジャー持参していなかったから、あくまで目測ですが)
という巨大ピィッツァがテーブルに置かれました!

すんごい迫力です。

こんなもん食べれるのか?と思ったのですが、食べれました。(笑)
大きいのに意外とあっさりしていて、トマトソースが美味しく、サクサクとスナック感覚でいけてしまいました。
ビールとの相性もバッチリで、お腹一杯になり、
小降りになった雨の中をホテルへと踵を返す私でした。

ホテルが近くなるにつれて、何だか嫌な雰囲気になってきました。
もうそろそろ夜10:00です。
にも拘らずナポリ人は元気なのです。

もっと分かり易く言うとウルサイのです。

ナポリ中央駅前はロータリーのようになっていて、車がひっきりなしに通るのです。
そして、皆がやたらとクラクションを鳴らし立てるのです。

“キュキュキュ~”と急発進でタイヤが摩擦する音、
“キーッ”という急ブレーキの音、
“ビッ、ビッ、ビ~ッ”、“パホパホ~”というクラクションの音、
“ウィ~ン”というパトカーのサイレンの音、
“ピーポー、パーポー”という救急車の音、
“ってやんで~、バッキャロ~”という酔っ払いの罵声や怒号・・・、

これらが全てミックスされて延々深夜まで続くのです。
ようやく静かになって眠りに就けたのはAM3:00を回っていました。
フウ~、暫し休息・・・。(寝)

でも朝7:00には元気な(うるさい)ナポリの復活でした!

翌日は2000年の封印から目覚めたポンペイ遺跡、
ナポリ以外では経験出来ないナポリ人の摩訶不思議行動に再びカルチャー・ショックを受ける事になるのですが、
その話は後日に。

ところで、秋田は雪が降っていません。
このままではもう時期開催される冬の国体が心配です。

2007年1月 5日 (金)

シチリアへの憧憬・・・その3

1/2の記事「シチリアへの憧憬・・・その2」の続きです。

TAORMINA(タオルミナ)、何と甘美な響きでしょう!
今日はそのタオルミナでの出来事を書きます。

アグリジェントからパレルモに無事帰還を果たした私は翌日タオルミナに向かいました。
出発は午後にしましたので、それまでパレルモで未だ行っていなかったカタコンベ(骸骨寺)へ足を向けました。
ここのカタコンベの正式名称はCatacombe dei Cappuccini【カタコンベ・デェィ・カップチーニ】と言い、
映画「ツイン・ピークス」のモデルとなった2歳の女の子「ロザリア」のミイラがある事で有名です。
パレルモ市街から外れにあり、バス移動&徒歩で到着しました。

観光客が多くガヤガヤした入り口周辺とは違い、中はヒッソリとしています。
地下に降りて行くと、壁や床に両手を前に組んで頭を垂れた骸骨が展示(?)されていて、何やら不気味です。
何だか“いらっしゃいませ”とお辞儀されているみたいです。
カタコンベ・デェィ・カップチーニと言う名称ですので、骸骨は恐らくカプチン派の修道僧なのでしょう。

Catacombe2

お目当ての「ロザリア」は一番奥の小さな棺の中に安置されていました。
1920年代から安置されているそうですので、生きていれば相当なお婆さんです。
保存状態は良好でとてもミイラには思えません。

Rosalia1

頬はピンク色で、頭に白いリボンを付けていて、まるで本当に眠っているかの如くです。

「・・・」

暫し固まってあれこれ空想に耽る私でした。

カタコンベ・デェィ・カップチーニを出て、
市街をブラブラしながらパレルモ中央駅近くでシチリア名物「アランチーニ(ライスコロッケ)」に舌鼓を打って、
いざタオルミナへ出発です。

旅は各駅停車の電車が最高です。
電車に乗り合わせた現地住民の生の声、生活の声が聞けます。
この時は途中で中学生と思しき学生が大挙して乗り込んで来ましたので、シチリアの学校の話、女の子の話、社会の話が聞けました。
何しろイタリア人です。周りの迷惑を考えず(?)大声&ゼスチャー付きで話しまくります。
そうこうしているうちに電車は沿岸をひた走り、名も無い様な漁村の駅(これがまた良い!
映画「ニュー・シネマ・パラダイス」や「マレーナ」のロケ地か?と思わせる程、シチリア情緒タップリです!思わず途中下車してトト少年を探しに行きたくなる雰囲気です)を通過して、目的地タオルミナに到着しました。

この時点で私にタオルミナに関する予備知識は、ほぼ皆無でした。
ただギリシャ劇場がある風光明媚な地らしいと言う事だけです。
勿論、ここが映画「グラン・ブルー」のロケ地という事も知らねければ、
世界中からお金持ちが集る高級リゾート地である事も知
りませんでした。

電車を降りて駅構内を通過して表に出ると、
「エッ!?」、「こ、、、これがタオルミナ!?」
と絶句してしまう程、殺風景で何もありません。
思わず後ろを振り返って駅の看板を確かめると、確かに“TAORMINA GIARDINI”と書いてあります。
「で、これから一体どうすりゃ良いの・・・?」と暫く考えて、駅の隣にあるイタリア版キオスク(そんな立派なお店ではないけど)に相談しに行きました。

人気の無い店に入って

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「すいません、どなたかいますか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

(もっと大声で)「すいません、お願いします!」

店員「・・・、あいよ~」(余りに暇なので寝ていた様子)

「すいません、観光で来たのですがギリシャ劇場にはどう行ったら良いのですか?」

店員(面倒くさそうに)「バスかタクシーで行きゃいいさ」

「バスは何処から出ていますか?」

店員「この駅前から出てるよ。切符はここで買っておくれ。」

「じゃ~、お願いします。」

店員「・・・」(無言で何やらゴソゴソ)

白い紙を無造作に取り出して、バチンと刻印して

店員「はい、切符。」

そこには青いインクで何やら切符らしき文字が刻印されていました。

店員「それを乗車する時に運転手に渡せばOKさ。」

「・・・」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


現代生活に慣れてしまい、綺麗にデザインされた印刷物を当たり前の様に見慣れた私にとって、そのプリミティブな切符は衝撃的でした。
キオスクを出て駅前でポカンとバスを待っていたら、何やら見覚えのある顔が・・・。
そう、昨日アグリジェントのバスで一緒になったスイス人夫婦が歩いていたのです。
向こうも駅前で所在無さげに立ち竦んでいる東洋人を発見したらしく、

スイス人夫婦「お~い、君!」

「あッ、ど~も!」

偶然の再会にお互い驚き、暫し立ち話&情報交換をしました。
何でもこのスイス人夫婦は昨日のうちにタオルミナ入りし、これから一週間のんびりと滞在して、イタリア本土を縦断してスイスに帰るそうです。
夫婦はここタオルミナを絶賛していましたが、カルチャーショックを受けたばかりの私にはこの時点でタオルミナの良さを到底理解出来ませんでした。
情報によると、タオルミナ旧市街はこの駅の遥か上、丘の上にあるそうで、ギリシャ劇場もそこにあるとの事でした。

      このスイス人夫婦から聞いて初めて分かったのですが、現在この夫婦が暮らしているスイスの地区ではフランス語とドイツ語、英語が公用語だそうです。
夫婦が学生だった頃はフランス語とドイツ語だけで、英語は公用語ではなかったそうです。
そのためこの夫婦は全くと言って良い程、英語が話せません。
私の方は丸っきりドイツ語が話せませんので、夫婦との会話は全てフランス語で行われました。
現在、学校ではフランス語の授業は無く、フランス語が得意な夫婦はフランス語が話せない孫とのコミュニケーションに四苦八苦しているそうです。
多言語国家の複雑な事情を垣間見る事が出来ました・・・。

そうこうしている間に、バスは駅前に到着し、スイス人夫婦の旅行の無事を祈願し、別れを惜しんでバスに乗り込みました。
そして先程キオスク(?)から購入した切符を運転手に渡すと、片手に持ったパンチャーで“パチン”と中に穴を開けて私に返しました。
これが使用されたという証なのでしょう。

「えッ!・・・」と呆気に取られている東洋人を無視してバスは走り始めました。

そう、確かに原理的にはどんな形であれ、支払った代金に見合ったサービスを提供してくれれば問題はありません。
例えそれが向こうが見える程薄いペラペラの白い紙を手で作った乗車券であれ、
例えそれが人力パンチで穴を開ける証明であっても・・・、
それで通用しているルールであれば、それで良いのです。
そんなシンプルな事を改めて認識させてくれた数時間でした。
(それにしても、衝撃的でした)Img_0013a

衝撃的なバス乗車券はこれだ!



バスは旧市街を目指してドンドン丘を登って行きます。
バスの車窓から見える景色は青いイオニア海が、空の青さと競い合って何処までも続いています。
1月初旬だというのに、この陽気は秋田生まれの私には反則技にも思える程です。
丘を登るにつれて道幅はますます狭くなって行きます。
フト路肩を見ると、
「エッ!」、ガードレールがありません。
乗用車同士の対面通行もままならない程の狭さなのに、「落ちたらどうなるの?」といった東洋人の不安をよそに、運転手は鼻歌交じりでビュンビュン飛ばして丘を登って行くのでした。
程なくしてバスは少し広い場所に到着しました。

運転手「え~、皆さん。大変お疲れ様でした。只今バスはターミナルに到着しました。どなた様もお忘れ物無きよう、お気を付けてお降り下さい。」

「えッ!、ここがターミナル、終点なの!?」と思ったのですが、乗客は皆下車しましたので仕方なく私もバスから降りました。
バスターミナルにはタクシーと思わしき車が数台待機しています。
その全てが何とメルセデス・ベンツです!
一緒にバスから下車した乗客はベンツタクシーに荷物を積み込み、何処かへ消えて行きます。
貧乏東洋人の私にはベンツタクシーなんぞ恐れ多くて、とても乗車出来ません。
かくなる上は、徒歩しかありません!
土産でパンパンになったスーツケースを“ガラガラ”音を立てて、石畳の丘を登って行きました。
途中、通行人の好奇の目が注がれるのも気にしないで、ひたすら丘の上を目指して歩いて行きました。
歩く事凡そ15分、ようやく旧市街らしき場所に到着です。

タオルミナ旧市街の入り口であるポルタ(門)をくぐると、そこは大勢の観光客で賑わう広場でした。
広場の一角にタクシー乗り場があり、そこでドライバーにホテルの場所を尋ねると、目の前の道を真っ直ぐ行った突き当りとの事。
そこから約1分でタオルミナ滞在ホテルであるTIMEOにやっと辿り着きました。
入り口付近から見るホテル外見は鬱蒼とした蔦で覆われていて、何だか怪しい雰囲気が漂います。
しかし、一歩中に入ったらそこは別世界(!)、高級感一杯の超デラックスホテルでした!
フロントの女の子は可愛いし、教育が徹底されています。
貧相なジーパン姿の東洋人には似つかわしくない、そんなホテルです。
チェック・インを済ませて部屋へ移動する時も、その女の子が帯同してくれて、部屋の説明もしてくれました。

部屋の床は全て大理石。Camera

そして窓を開けてバルコニーへ出ると、
右に旧市街を抱えたエトナ山、
左には湾に沿って何処までも青く延びるイオニア海・・・。

Img_0016a_1

絶景です。
こんなパノラマが存在する事が信じられません。


Img_0013a_1
ホテルのウェルカムカード


暫し、絶景を堪能し俗世間から逃避しておりましたが、
お腹は“グウグウ”と鳴り、俗世間行きを要求してきます。
「よ~し、そろそろ飯にしよう!」とホテルを出て、旧市街へと向かいました。
「確か先程くぐったポルタの傍にレストランがあった筈」との記憶を頼りに歩いて行くと、ありました、ありました。
(店の名前はTOROCADERO、ポルタ・メッシーナの直ぐ右側のレストランです)
席に案内されメニューを見て、

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Senta, Posso ordinare questo piatto? Mmm・・・, spaghetti ai ricci di mare.」【すみません、ん~と、ウニのスパゲッティをお願い出来ますか?】

カメリエーレSi, ma da bere?」【はい、飲み物は如何なさいますか?】

Avete vino casa?」【ハウスワインはありますか?】

カメリエーレSi, certo.」【はい、ございます。】

Allora, lo prendo, grazie.」【じゃ~それを下さい。】

カメリエーレSubito.」【直ぐにお持ちします。】

Ah・・・, Un momento, Mmm・・・, Ho una fame da rupi, doppo gli spaghetti, anche un piatto di scaloppine al limone per favore.」【あ~、ちょっと待って下さい。ん~と、物凄くお腹が空いているので、スパゲッティの後に子牛のレモン風味ソテーも下さい。】

カメリエーレ(少しニヤけて)「D’accordo!」【かしこまりました!】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

カメリエーレの笑いが少し気になったのですが、
運ばれて来たワインを飲みながらここタオルミナの事を考えてみました。
思うに「タクシーは全てベンツだし、イタリアの国民車フィアットは皆無だし・・・」、
「ホテルは超豪華で部屋の床は大理石だし・・・」、
「ガラガラ音を立てて鞄を引きずっている観光客はいないし・・・」、
「浮ついた観光客は少なく、紳士淑女が多いし・・・」、

「もしかしたらタオルミナって世界中のお金持ちやセレブ達が集る場所なのではなかろうか?」
と事前に下調べをしなかった事を反省しているうちに、頼んだウニのスパゲッティがテーブルに運ばれて来ました。

「えッ!・・・、何これ!」

ようやく先程カメリエーレがニヤけた意味が分かりました。
物凄い量です。
ザッと350400グラムはあるであろうスパゲッティです。
普通日本で出される量の34倍はあります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

カメリエーレBuon appetito!」【ごゆっくりお召し上がり下さい!】

(思いっ切り慌てて)「Ah・・・, S, Scusi, doppo di mangare questo piatto, io non posso mangare di più. Cacellare il piatto di scaloppine al limone, per favore.Mi scusi!」【あ~ッ、す、すみません、このスパゲッティを食べたら、も、もうギブアップです。さっきの子牛のレモンソテーはキャンセルして下さい!済みません!】

カメリエーレ(してやったりの表情で)「D’accordo!」【かしこまりました!】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

と、完敗宣言して店を後にしました。
如何にお腹が空いていようが、そこは東洋人の悲しいところ、あの量にはなかなか勝てません。
でもウニの味はとても良く、少し塩気の多いシチリアのスパゲッティとはとてもマッチしていました。
ワインとあの量のスパゲッティではリーズナブルな値段で、大変満足&満腹して夜の旧市街地へと探索に出かけました。

      後日シチリア人にウニの話をしたら、「ウニの味が分かるのはシチリア人と日本人だけだ!」と、大いに盛り上がりました。(本当かな?)

Taormina30
夜のタオルミナ旧市街は日中と違い、
ボンヤリとしたオレンジ色の街灯と商店からの明かりが映し出されて、落ち着いた雰囲気の表情を見せます。


Taormina40 
歴史を感じさせる教会、
人々が憩う広場、
観光地化されていない路地に足を踏み入れれば、そこは中世さながらの趣きを残しており、 濃密な時間を過ごした今日一日に想いを馳せる私でした。
(本当にカルチャー・ショックも相当受けて、優に一ヶ月分に相当するのではないか?と錯覚するほどの濃い一日でした)

さて、翌日はシチリア最終日。
イタリア本土へ上陸するとまたもカルチャー・ショックを受けるのですが、その話は後日に。

今日の曲はそのものズバリ!TAORMINA【タオルミナ】

作曲と演奏:秋田杉

「Taormina.mp3」をダウンロード

(殆どがアドリブ部分ですが)お楽しみ下さい。

ところで、本日私は2007年初釜家族茶会を開きました。
今年初のお茶も上手く立てる事が出来て満足です。

Img_0008a








綺麗に立てたつもりの抹茶

Img_0009a_1 

飲み跡もスッキリ!
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お茶菓子は今年の干支である猪をあしらった羊羹と
Img_0012a_1



良く分からない和菓子です。


今年は良い年である事を願っています。

2007年1月 2日 (火)

シチリアへの憧憬・・・その2

昨年12/29の記事「シチリアへの憧憬・・・その1」の続きです。

2002年元旦、イタリアはシチリア島、パレルモにて二日酔いと寝不足で元旦を迎えました。
意識が朦朧として、足元はフラフラと覚束ない状態で、どうにかパレルモ中央駅に辿り着きアグリジェントまでの二等席切符を購入して、イザ出発です。

と、言っても寝不足&二日酔い状態なのでアグリジェントまではひたすら寝るだけです。
電車は順調にアグリジェントに到着して、少しだけ体調が回復した私は駅構内を出て、駅前にある停留所で遺跡行きのバスを待っていました。

待っていました・・・。

ジッと、待っていました・・・。

辛抱強く待っていました・・・。

そろそろ待ち始めてから2時間・・・、ひたすら待っていました・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

しかし、いくら待ってもバスは来ません。

流石に頭に来ました!
駅にある案内所の係員に二日酔いの酒臭い息を吹きかけながら、
「一体どうなっているんだ!もう2時間も待ち続けているんだぞ!」と、
怒鳴り込んだらあっさりと、

「今日は元旦だよ、仕方がないじゃないか。元旦早々カリカリしなさんな。まあ、今日中にはバスは来るさ!」
と、南国特有のお気楽リアクション・・・。

そう、ここはシチリア。
ヨーロッパ最南端の地、時間と約束はあって無いようなもの。
東洋人がジタバタ一人で喚こうが、どうにもならない南国気質。
「まな板の上の鯉」の心境で“なるようになるさ”と、諦める事が肝心です。

さて、クレームも一蹴されて再びバス停に戻ったら、バスを待つお仲間が増えていました。
聞けばスイスからやってきた夫婦だそうで・・・、
バスを待っている間中、シチリアの南国気質についてお互いに文句を言い合っていました。
そうこうしている内に、遺跡行きのバスがようやく到着しました。
スイス人夫婦共々バスに乗り込み、ようやく出発です。(長かった~ッ!)

駅前ロータリーを抜けて、少し下り坂道になっている道路を走ると、そこはもう別世界です
映画の1シーンです。
雰囲気では「アラビアのロレンス」の砂漠の色、と言うのでしょうか?
あの映画全体を彩る黄土色で建物が出来ている。そんな感じです。
パレルモより遥かに南に位置し、晴れた日にはアフリカ大陸が見えるらしいアグリジェントはヨーロッパというよりはモロッコや、チュニジアといったアフリカの匂いがします。

バスは順調に町を走り抜けて、遺跡へと到着しました。
遺跡に到着してビックリ!
人・人・人・・・、凄い人数です。
「一体、あんた達はどうやってここに来たの?」と聞きたくなります。
駅前には2時間以上も前から私がいましたので、電車→バスのルートではありません。
今もって不思議でなりません。

さ~て、バスから降りて真っ先に目指したのは「コンコルディア神殿」。
憧れの神殿を早く目にしたいという焦りを押えて、坂道を登って行きます。
暫くすると目の前に巨大な神殿が・・・。
“ん~、これが紀元前にこの地へ移り住んだギリシャ人によって建てられた神殿か・・・”
凡そ2400年前の建造物が現存していて、恰もつい昨日まで神事が行われていたかの様な圧倒的リアル感があります。
(これ程の状態まで良い保存をするためには、並々ならぬ努力が必要だと思います。遺跡関係者の方々に感謝します。)

Iseki10 天気も良く、風も穏やかだったため、地中海と市街地を見下ろすこの神殿脇で暫し瞑想に耽っていたら
「日頃の悩み事なんてどうでも良い、取るに足らない事」に思えてくるから不思議です。
(本当は二日酔いが治まっていくのが気持ち良いだけ・・・)

ジュノーネ宮殿、エルコレ神殿と見学して充分アグリジェント遺跡を満喫して、通り掛りのホテルのフロントでタクシーを頼んで駅に戻りました。
(タクシーはメーターが無く、料金はドライバーと交渉です)

その後1つ、2つトラブルはあったもののアグリジェント駅を出発した電車は無事パレルモ中央駅へと到着しました。

翌日は映画「グラン・ブルー」でも有名なタオルミナへ出発です。
タオルミナの話はまた次回に・・・。

新年2曲目も元気の出る曲が良いですね。
ブギウギです。
曲:C'è domani

「ce_domani.mp3」をダウンロード

お楽しみ下さい。

※昨年~正月雪かきをしていません。こんな最高の正月は何年ぶりでしょう・・・?

2006年12月29日 (金)

シチリアへの憧憬・・・その1

今から丁度五年前の12/29日に私はシチリアに降り立ちました。
何故か昔からアフリカ大陸を眼前にするこのシチリアなる島への憧れがあり、遂にその想いを果たす事が出来ました。

空路ローマからパレルモへと渡り、かの地に足を踏み入れたのですが、流石にヨーロッパの最南端の地とあって、多くの住民の顔つきがラテン系からアラブ系に変わっていたのが第一印象でした。
空港から市内へのバスに乗り込み、ホテルのチェックインを済ませて、早速街中に繰り出してみました。

紀元前から様々な民族の侵攻と統治を受けて来た街だけあって、各民族の文化が色濃く反映されていて、迷宮の中に入り込んだような、カオス状態のような、雑然としたような、不思議な感覚になりました。
良し悪しは別にして、決して他のイタリアの都市では味わえない独特の感覚です。

大通りを外れて路地を彷徨い歩けば、何やら怪しげな雰囲気が充満しており、アラブ系の彫りが深く髭の濃い顔が私をジッと睨み付けます。
マフィア発祥の地と言われるだけあって、スリルがありました。
“何処かにドン・コルレオーネがいるのではないか?”とさえ、錯覚します。

ところで、MAFIA(マフィア)の語源って知っていますでしょうか?
一説によればイタリア語でMolte Alla Francia, Italia Anela(イタリアの叫び“フランス人に死を!”)の単語の頭文字を綴ったものだと言われています。
フランス統治時代に起こった悲劇がキッカケと言われていますが、私にはその真偽は判りません。

因みに現在シチリアではマフィアという言い方はせずに、la cosa nostra(コーザ・ノストラ:我々の物)と呼んでいるそうです。

さて話は戻って、そんなパレルモの街をウロウロ徘徊した、三日目の日、思わぬ事態となりました。
そう、日本でいう大晦日の日です。何とオープンしている店が殆どありません!

“しまった、今日は大晦日だ!”と慌てても、既に遅いのです。
食料の買出しもしておらず、水もままなりません。“ウワァッ、大晦日断食パターンか!”と、以前経験した悪夢が脳裏を駆け巡ります。
ドアの開く店に飛び込みで入っても、“今晩はパーティの予約が入っているので、その準備をしているため一般客に食事は出せない。招待客でなければダメだよ”と、つれない返答。

昨日まで営業していた街中のイタリア生協も営業しておらず、“ん~、本当に困ったぞ”と思案した挙句、滞在しているホテルに交渉しましたが、
そのホテルでも当夜は「毎年恒例、大晦日~新年カウントダウンパーティ」を盛大に行うとの事。
ただし、パーティは招待形式ではなくお金さえ支払えば、誰でも参加出来るそうなので大枚を叩いて参加を決めました。

朝からの空腹を押し殺して、いよいよパーティ開始の夜8:00に会場に向かうと、
そこにはまたまた予想していなかった風景がありました。
何と参加する皆さん、老若男女を問わず、頭の先からつま先までバリッとしたタキシードやフォーマルで決めているではありませんか!
女性は背中と胸元が大きく開いたドレスを着て、高級な毛皮のコートを身にまとっています!
子供も七五三で記念写真を撮るような、かわいいフォーマルで決めています!

“ウヮ~ッ、フォーマル・パーティだったのか!”と気が付いた時には、既に手遅れ。
空腹を満たす事に頭が一杯だった私は、パーティの形式を聞く事をスッカリ忘れていました。
着たきり雀状態でシチリア入りした私はジーパンと毛玉だらけのセーターしか持っておらず、皆の視線を背中に感じつつ、
“エエ~ィ、今更どうなるもんでもないわい!”と腹を括り、空腹を満たす事に専念し、シチリア料理とワインを胃袋に放り込みました。

空腹も収まり適度な酔いが回ってきた頃、場に馴染んだのか(そんな訳は無く、皆さん無視していただけ)それほど視線を感じなくなりました。
と、そこへ一人の若いカメリエーレが私のテーブルにやってきて、

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

カメリエーレ「Scusi,lei è giapponese?, Conosce NAKATA?」【すみません、貴方は日本人ですか?ナカタを知っていますか?】と聞いてきました。

「Si, conosco NAKATA. È un giocatore giapponese, anche è famoso in Italia, vero?」【はい、知っています。日本人サッカー選手でしょ。イタリアでも有名なんですよね。】

カメリエーレ「Si~,si~,esatto, le piace?」【はい、はい、その通りです。貴方は好きですか?】

「Si, mi piace molto. È lei?」【はい、とても好きですよ。貴方は?】

カメリエーレ「Certo, anchio mi piace!」【勿論、私も好きです!】

と、この後数分に渡って中田談義・サッカー談義がパーティ会場から浮いたテーブルで行われていました。
この光景をジッ見ていたであろう初老のイタリア人紳士が私達のテーブルにやってきて、

紳士「ワ・タ・シ・ハ・ニ・ッ・ポ・ン・デ~シ」とタドタドしい訳の分からない日本語を話し始めました。

紳士「オ・サ・カ、、、ナ・ゴ・ヤ、、、ト・キ・オ・デ~シ」

これは多分、「私は日本に行った事があります。大阪、名古屋、東京です」と言いたいのだろうと判断して

「そうでしたか。それは、それは・・・」「Ma, non ha bisogno di parlare in giapponese, so parlare italiano unpo'.」【でも日本語で言わなくてもいいですよ。少しだけイタリア語を話せますから】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

と言ったら、総勢15人はいるであろう紳士淑女のテーブルに招き入れられて、質問攻め&ワイン攻撃に遭いました。

彼らはどうしてこの大晦日カウントダウンパーティに小汚い格好をした東洋人がいるのか?不思議だったみたいで、
「あれは中国人だ」とか、「あれはパーティ招待状を拾ったに違いない」とか、あれこれと議論を交わして酒の肴にしていたらしいのです。
でも、これこれこういう訳で・・・と、大晦日喰い逸れ事情を話したら「Manma mia(マンマ・ミア~)!」と同情してくれて、その後は“飲めや、歌えや、踊れや、騒げや”の大宴会へとなだれ込みました。

イタリア人全般に言える事なのですが、特にシチリア人はシチリアに強い愛着を持っていて、一度打ち解けると非常に情に厚い方が多いと感じました。
大宴会は新年へのカウントダウンを挟んでも続き、1/1早朝にアグリジェントに行こうとしていた私の計画は完全無視されて、深夜まで続くのでした・・・。

寝不足&二日酔いで迎えた1/1のアグリジェントの話は、また次回に・・・!

今日はイタリアでも人気の高い作曲家のこの曲:ヴェルディ作曲 リスト編曲「リゴレット」

「Rigoletto.mp3」をダウンロード

お楽しみ下さい!

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