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2007年3月18日 (日)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅵ)

今日は先日の記事挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅴ)の続きです。

マンハッタン音楽院で迂闊にも熟睡してしまった私は一人、深夜のニューヨークを徒歩でうろつく羽目になってしまいました。
“ん~、帰りの方角は分からないし、近くに人もいないし(深夜のニューヨークだから当たり前)、困ったな~ッ!”と思いながら、トボトボと間違ってダウンタウンに向かって歩き出しました。

Night02
ニューヨークの夜はなかなかスリリング!

暫くすると何だか怪しい雰囲気になってきました。
そう、良く映画等で見かける、いわゆるニューヨークの危ない雰囲気です。
“ん、何だか雰囲気が変わったな・・・?”
と思ったのですが、
“まあ、何とかなるさ!”
と、相変わらずのマイ・ペースでうろついていました。
すると・・・、

前方には体格の良い黒人風のお兄さん達がタムロしていました。
“ア・ラ・ラ・・・、チト、ヤバイかも・・・”
ここで貧相な秋田県人は引き返そうかとも思ったのですが、「猛獣に背中を見せてはいけない」と何処かで見た記事を思い出し(関係あるのか?)、お兄さん達に向かって行きました。
お兄さん達も“不思議な貧相な東洋人”が向かって来るのに少し驚いた様子で、何やらコソコソ話をしていました。

4~5人はいたでしょうか、皆身長180cm以上、体重100kgはあろうかという体躯をしています。
そんな黒人のお兄さん達に向かって、
“実はホテルに帰りたいのだが、道に迷ってしまって帰れないんだ。道を教えてくれないか?”
と素直に聞いたところ、
“教え賃は高いゼ!”
と凄まれてしまいました。
“そこのところ、何とかヨロシク頼むよ!”
と言ったら、
“お前の持っているその紙袋を出しな!”
との返答。
“イ、イヤ・・・。コレハ・・・。”
と拒んでいると、脇から“パクッ”と黒い手が私の紙袋をさらっていきました。
“オッ、コレは!”
と少し驚いているお兄さん達。
“お前、ジャズが好きなのか?!”
と聞かれ、
“ハ、ハイ・・・。”と答える私。
(実はマンハッタン音楽院に行く前にCDショップに寄ってジャズCDを購入していたのでした)
“誰が好きなんだ?”
“ハ、ハイ・・・、え~と、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、クリフォード・ブラウン、ウイントン・マルサリス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、ハービー・ハンコック、クインシー・ジョーンズ・・・”
と答えると、
“OK、OK・・・。分かった!俺達黒人の音楽をアジア人であるお前が理解を示してくれた。そんなお前が困っているのなら助けてやろう!”
と、嬉しいお言葉!
そんな訳で数人と連れ立って広い通りまで歩いて行き、そこでタクシーを無事拾う事が出来ました。

タクシーのドライバーは深夜のニューヨークで貧相な東洋人と屈強な黒人達との光景に少し驚いた様子で、
“アンタ、大丈夫なのかい?”、“怪我はないかい?”、”お金は取られなかったのかい?”・・・
と、しきりに心配してくれましたが事の顛末を話すと、
“ホ~、そんな事もあるのかい!”
と、少し感心した様子でした。

Night01
ここまで来りゃ~、もう大丈夫だぜ!

無事ニューヨーク・ヒルトンホテルへタクシーは到着し、なんだかんだの濃い一日を終えて、ニューヨーク3日目の夜は終わるのでした・・・。

※それにしても貴重(?)な経験でした。今でも振り返ると冷や汗が出そうになります。(-""-;)

2007年3月15日 (木)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅴ)

今日は先日の記事、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅳ)の続きです。

ニューヨーク生活も3日目を向かえ、早口のニューヨーク英語にもそろそろ慣れてきた頃、いつもの様にオノボリ東洋人は街を散策しておりました。
滞在ホテルから程近い所にRADIO CITYがあり、
“オォ~、これが有名なラヂオ・シチィちゅうもんか~!”などと観光客状態になってしまいます。

5th_ave
写真は五番街

更に街を探索すると、様々な楽器屋さんがあり、見た事もないヘンテコなギターやら、奇妙な形の民族楽器等が陳列してあるものですから、新しいモノ好きの東洋人は弾きたくてウズウズしてしまいます。
日本を離れて以来、楽器の練習もしておらず、昨日コンガを叩いただけですので、
“おっちゃん、弾かせて~や!”
なんて調子で強引に弾かせてもらうのですが、ニューヨークの楽器屋は刺激が一杯で堪りません!!

いつもは夜に行く事が多い42番街を我が物顔で闊歩し、怪し気な店へ飛び込んでは、“フムフム、ナルホド、なるほど・・・”と、ニューヨークの持つ街の魅力の一片に触れるのでした。

日中、いつも賑わっていたのが五番街。

ティファニーで朝食を DVD ティファニーで朝食を
五番街と言えばやっぱりこのイメージですね。

高級ブランド店が軒を連ねるこの通りは、オシャレそのものです。
でも秋田生まれの貧相な東洋人には全く無縁の界隈でもありましたので、店に入る事はせずにヒューマン・ウォッチングを楽しむのでした。

さて、そうこうしているうちにお楽しみの無料コンサートが開かれる時間になって参りました。
会場であるマンハッタン音楽院は少し遠いところにありましたので、タクシーで行く事にしました。
会場へ到着すると、“いるわ、いるわ・・・”、既に沢山の人が席についています。
指定席ではないので先着早いもん勝ちで良い席に座れますので、我先に席をゲットします。
開演までは30分位前だったでしょうか、席に着いて明日以降の事をボンヤリ考えていました。
このボンヤリがいけなかったのでしょう、時差や連日の散策の疲れや毎晩のアルコールの飲み過ぎもあってウトウト眠ってしまいました。

当然、大きな歓声が上がって目が覚めたのはミュージシャンがステージ上に登場した後の事でした。
“オオ、イカン、イカン・・・!つい眠っちまったゼ!”と目を擦り、現実を認識して演奏を楽しもうとしたのですが、何だかステージ上のミュージシャンは若いのです。
“んッ?”と思い、入場の際に渡されたパンフレットを見てみると・・・、
今夜の演奏は2ステージ制になっていて、前半はマンハッタン音楽院の学生選抜による演奏となっていました。
“オヤ、学生さんの演奏かい?”と考えたのですが、実際に演奏が始まってみると、ナカナカの腕前です。
“お~、やるでね~か!”と感心しながら聴いてしまいました。
(後で知ったらこのマンハッタン音楽院は非常に優秀な演奏家を輩出している名門校だったのです)

何組かのグループが入れ替わって第1ステージが終了しました。
その後、短い休憩を挟んでいよいよ2ステージ目が始まります。
現れたのは・・・、何と私の大尊敬するミュージシャン、Dave Liebman(デイブ・リーブマン)ではありませんか!!

Liebman

新聞にもパンフレットにも名前は載っていなく、ゲスト:Xとなっていただけに驚きました!!
このコルトレーン派を代表するサックス奏者の凄さは、私如き凡人が述べるまでもありません。
私は一時期(今でもか)理論派音楽に傾倒していた頃がありましたので、今は亡き故マイケル・ブレッカーと並んでデイブ・リーブマンは大ファンだったのです!

さて、偶然にも初めて彼の音を生で聴く機会に恵まれた私は、ワクワク&ドキドキしながらその瞬間を待っておりました。
“プォ~”と澄んだソプラノ・サックスの音色が会場に鳴り響きました。
目を瞑って一音一音確かめる様につないでインプロヴァイズしていきます。
静かに訥々と語りかけるような、幻想的とも言えるソロが続きます。
音が途切れた、と思ったら、ドラムスの鋭いクラッシュ・シンバルの音を合図にアンサンブルがスタートしました。
もの凄い速いテンポです!
にも拘らず一糸乱れぬユニゾンでテーマを奏で、各自のソロの応酬が続きます。
“ス、スゴ過ぎる・・・!”
1曲目からコルトレーン・ライクなフレーズを連発するリーブマンは顔を真っ赤にして、ソプラノからテナー・サックスに持ち替えてバリバリ吹きまくります。

“・・・・”
“・・・・・”
もう金縛り、放心、冷凍保存状態になってしまう東洋人でした。
デイブ・リーブマンのステージが終了し、1ステージで登場した学生さん達とのセッションが始まりましたが、デイブ・リーブマンの演奏に集中して聞き耳を立てていた私はとても疲れてしまい、迂闊にも放心状態のまま再度眠ってしまうのでした・・・。

“んッ!”気が付くと会場には殆ど聴衆は残っていませんでした。
そう、完璧に熟睡してしまったのです!
時計はもう23時近くになっていました。
“ワッ、ヤッベ~!”と思い、速攻会場を後にしましたが、生憎帰りの道を覚えていません。
タクシーでこのマンハッタン音楽院に向かった時も、ドライバーが場所を知らず右往左往しながら辿り着いたものですから、更に頭の中で地図が混乱しています。
タクシー・ステーションの場所も分かりません。
勿論外は真っ暗、誰一人歩いていません。
“ええィ、ままよッ!、なるようになるさ~!!”と一人深夜のニューヨーク、暗闇の中を秋田県人はブラブラとダウンタウンに向かって歩き出すのでした・・・。

次回に続く

2007年3月13日 (火)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅳ)

今日は先日の記事、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅲ)の続きです。

アフリカ系住民とのコンガ&ボンゴ船上センッションで気分良くリバティ・アイランドに上陸した私は、その二人と別れて自由の女神をアレコレ考えながら見ていました。

Stature_of_liberty
これがニューヨークの自由の女神、、、デカイ!

映画「海の上のピアニスト」ではこの像を指して“アメリカ!”と言われる程、象徴的な使われ方をされました。
この自由の女神(英語ではStature of Liberty)なる巨大彫刻はフランスから独立を記念して贈られた物らしいのですが、大きいです。

実に大きいです。

ホントに大きいです。(クドイ)

私はこの像を見た時にどうしても、ヒッチコック映画「逃走迷路」を思い出してなりませんでした。
主人公を追い駆けるスパイ(だったかな?)との息詰まる攻防の末、この自由の女神の上で行われる人間ドラマ、そしてエンディングシーン・・・。
実際にこの自由の女神の中に入って、像の中から外を覗くと・・・、
“ん~、なるほど・・・”と、思わず「逃走迷路」マニアを唸らせてしまうのでした。

さて、そんなこんなで自由の女神を後にして、今度は地下鉄に乗り込んでWTC(ワールド・トレード・センター)に向かいました。
残念ながら9.11事件で、現在このWTCはもう無いのですが、私がニューヨークに初めて行った時はかなりの人でゴッタ返しておりました。

(ここで改めてワールド・トレード・センター崩壊事件で亡くなられた方々に哀悼の意を表明すると共に復興を心からお祈りしています)

オノボリさん丸出しの東洋人は早速、展望台へと行きました。
“OH!、絶景じゃ~ッ!!”
360度ニューヨークの街が見渡せるフロアに感心しつつ、あっちへ行き、こっちへ行き、もうまるで3歳児です!
“オッ、あれはさっき行ってきたリバティ・アイランドではないか!”、
“オヤッ?、こっちはキングコングが登るエンパイア・ステート・ビルディングか!”、
なんて調子です。
おまけに1時間で360度グルリと回転するレストランなんて洒落た店もあります。
“おぉ~、ここは是非一度来て飯を喰わんとな・・・!”と、つい今朝まで落ち込んでいたのは何処吹く風の如く、ノリノリ状態になって観光しまくってしまいました。

さて、そろそろ日も暮れてまたもやジャズ・クラブへ行く時間になって参りました。
二日目のこの日は、BIRDLAND(バードランド)に行こうと決めていましたので、早速予約電話を入れましたが、生憎席は残っていないとの事・・・。
暫く電話帳片手に思案して、KNITTING FACTORY(ニッティング・ファクトリー)というクラブに行く事にしました。
この日の演奏メンバーは正直言って覚えておりません(悲)
それ程有名なミュージシャンではなかった筈です。
メンバー構成はテナー・サックスとトランペット、ピアノ、ベース、ドラムスといった典型的なフロント2管構成でした。
しかし、そのサウンドは強力でバップ・ナンバーを演奏したかと思うと、突如ギンギンのエフェクターを駆使した???のフリー・サウンドにも似た演奏に突入したり、
民謡風(フォーク・ソング風)の演奏から高速4ビートに突入したり・・・、とかなり刺激的なサウンドで聴衆を沸かせます!

その度にスッカリオノボリさんと化した東洋人は、
“オッ、そう来たか!”、
“あちゃ~、それをやられると・・・”、
“ワオ~、もう降参!!”

などと訳の分からないリアクションで演奏を聴き入るのでした・・・。
それにしてもこの日も改めて、ニューヨーク在住ミュージシャンの腕の確かさ、お客を沸かせるエンターティメント性の見事さ、どんな展開にも動じないキャパシティの広さを痛感するのでした。

翌日は待望の無料演奏会に出掛けますが、そこには私の尊敬するあの大物ミュージシャンが登場するのでした!

次回へと続く

※オォ・・・、それにしても昨日の秋田は寒かった!!最高気温が氷点下0.3℃でした!

2007年3月11日 (日)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅲ)

今日は先日の記事の続編、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅲ)です。

Village Vanguardでのトミー・フラナガン・トリオにショックを受けた私は、失意のうちにホテルへと戻り、時差の疲れもあったのか爆睡しました。

翌朝、気を取り直してホテル近くの喫茶店で遅めの朝食を取った後、“あ~、ニューヨークは何て所なんじゃ!同じ人間なのに何故あれ程のレベルの開きがあるんじゃ~!!”などと愚痴を洩らしながら、街中をブラブラと散策していました。

丁度近くにセントラル・パークがありましたので、
中に入って”(ー o ー) ぼけ~っ”としていたら、ベンチに新聞が置いてありました。

Central_park
これがセントラルパーク・・・天を突く摩天楼ビル群の中にこんな広大な敷地があるなんて

何気なしに取って読んでいたら興味深いニュースが載っていましたので、思わず目を見開いて熟読してしまいました!
記事によれば、何でも「明日マンハッタン音楽院で無料コンサートが開かれる」との事!
“オォ~!タダかよ!!”と、いきり立つ東洋人。

悲しいかな、タダという言葉に異常に弱い私は俄然元気を取り戻し、広大なセントラルパークの中をアチコチ見て回りました。
ここニューヨークにも桜の木はあり(当たり前か?)、思わず故郷秋田の角館を思い出してしまう始末。
さらに右往左往すると色々な記念館などもあり、思わずオノボリさん丸出しで入館してしまう私でした。
セントラルパークを堪能した私は気分もリフレッシュ出来て、晴れ晴れした気分で公演を後にしました\(⌒∇⌒)/
(実に単純!)

セントラルパークを出るとそこには観光用馬車があり、子供の頃の近所にいた馬を思わず思い浮かべる私でもありました。

さて、昼食を屋台のホットドッグで済ませてからは観光です。
ニューヨークの名所巡りの始まりです。

最初に訪れたのは、今やビッグ・アップルの顔ともなっている自由の女神です。
ここはリバティ・アイランドという島になっているため、車や徒歩では行く事が出来ません。(泳げば行けますが・・・)
船に乗船して行きます。
“オ~、結構人がいるな~!”と思いつつ、チケット売り場の列に行儀良く並んでおりましたら、何やら後ろが騒がしいので、振り返って見ると・・・
そこには体格の良い黒人がブラック・サングラスをかけてラジカセを片手に立っていました。
ラジカセからはヒップ・ホップ風音楽が♪ガンガン♪流れています。
皆、迷惑そうですが、相手は体格の良いチト怖そうな黒人お兄さんです。
誰も文句は言わせない雰囲気プンプンです。
勿論、体重は半分しかないだろう東洋人も文句は言えません。(悲)

暫くすると、今度はジャマイカ系(ドレッド・ヘアだったから)の黒人お兄さんが二人乗船して来ました。
しかもマイ・ボンゴを持っての乗船です(オイオイ、米国ってマイ・ボンゴOKなのかよ?!)

船はリバティ・アイランドを目指して出航しました。
水しぶきを上げて快調に自由の女神に向かって進んで行きます。
爽快な気分です。
と、ここで先程のマイ・ボンゴ・ジャマイカ系お兄さんがポコポコとボンゴを叩き始めました。
さっきまでは批判的に考えていたのですが、なかなか良い雰囲気です。
船の疾走感と良くマッチしています。
相棒は歌を歌い始めました。
ん~、聞いた事の無い言語です。
ジャマイカの方言なのでしょうか?、それともアフリカ系?
直ぐ傍らに立って耳を傾けていた私に、
”ヘイ、マン!ホエア・アーユー・カム・フロム?”と聞いてきました。
“えッ、わ・わたし??”、“ジャ、・・・ジャパン”と答えると、
♪ア~、ナントカ、ナントカ~、ジャパン~、ナントカ♪と、私をダシに勝手に創作&即興歌を歌うではないですか!
しかも、上手い!!(≧∩≦)キョエーッ

米国の音楽層の底辺の広さを目の辺りにした私は、軽いカルチャー・ショックを感じながらも、“エエィ、ここで怯んでは秋田県人の名が廃る(?)!!”と、訳の分からない解釈で勝手に決め付け、もう一台持ち込んでいたコンガを拝借して船上セッションとなるのでした。
(考えてみればこれが米国初演奏でした!)
当時の私は未だ複雑なパターンを叩けず、ドラムスのパラディドルの応用だけでしたが、楽しかったな・・・♪

すっかり、ジャマイカ系(実はアフリカ出身だそうです)お兄さんとも仲良くなり、周りには沢山の観光客に取り囲まれてセッションはリバティ・アイランドに着港するまで続くのでした。(そりゃ、そうだ。黒人と東洋人のリズム隊にドレッド・ヘアの歌手ですので、珍しいからね)

次回に続く

2007年3月 5日 (月)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編Ⅱ)

今日は昨日に引き続き、挑戦!米国大陸(ニューヨーク編)の続きです。

さて、無事Village Vanguardに到着した私は予約した番号を言って入場しました。
“オお~・・・、これがかの有名な数々の名演を残したヴィレッジ・ヴァンガードか・・・!!”とおのぼりさん丸出し状態で店内をキョロキョロ見渡しました。
壁のいたる所にあの有名ミュージシャンの音が染み付いているようで、当時熱狂的なジャズ・ファンだった私は伝説の1ページに飛び込んだかのような錯覚さえ覚えました。

Villegevanguard_1

暫くすると若い金髪のウェートレスが注文を取りに来ました。
ハイネッケン・ビールを頼んだ私は今や遅しと演奏を待っていました。
そのうちに、あのピアニスト:トミー・フラナガンが姿を現し、続いてジョージ・ムラーツ、カール・アレン(やっとドラマーを思い出しました!)が席について、いよいよ演奏が開始されました。

いきなりのアップ・テンポの演奏でも全く乱れは感じず、初曲からバリバリ・ゴリゴリのバップ・フレーズが飛び出します。
(トミ・フラは少しコロコロといった音色ですけど)
トミ・フラのソロに続いてはジョージ・ムラーツのベースソロ、これも素晴らしい!
まるで音程がフレット楽器のように正確です。
とてもフレットレスなんて思えません!
ジョージ・ムラーツのソロが終わると、カール・アレンを交えた4バースへと突入して参ります。
もうリズムなんてあって無いが如き、フリーとさえ思える空間支配を見せるカール・アレンなのですが、続く奏者はまたピッタリと頭を合わせて合奏が始まります!
“ギョエ~ッ、何じゃこの人達は・・・!!”と開いた口が塞がらない程の衝撃を受けました。

圧倒された演奏の後、短いMCを挟んでは曲名紹介も無く即演奏をし始めます。
バラードあり、ブルースあり、メカニカルな曲ありであっという間に1セットが終了しました。
“こ、こ、これが、ニューヨーク・トップ・ジャズメンの演奏か・・・”と暫し呆然として動けない私。
頼んだビールも飲み干し、更にもう1本追加オーダーした私は己の考えの浅はかさ&実力の無さを痛感し、もうヤケ気味になっていました。
30分位の休憩を挟んだら2ndセットの始まりです。

ここでもとても3人だけの演奏とは思えない厚みのある演奏、深淵なる音世界を披露してくれます。
一人一人の技量の確かさ、ジャズに対する真摯な姿勢、お客に対するエンターティメント・・・、2dnセットも衝撃的演奏を聴かせてくれて感動のうちに終了しました。
アンコール曲もサービスで聴かせてくれて大満足でしたが、ニューヨーク初日から精神的ダメージが大きく、半ば呆然として店を後にしました。

店を出て数メートル歩いていると、何やら後ろで女の声がします。
“何だろう?”と思って後ろを振り返ったら、先程の若い金髪のウェートレスではありませんか!

“ヘイ、そこのジャパニーズ!”

“エッ、私?”、“私を呼んでいるの?!”
と思いましたが、別にデートの約束をした訳でもないし、
“私じゃないだろうな”と思ったのですが、どうやら私のようです。

“ホワッツ・ザ・マター・ウイズ・ユー?”と聞くと、

“あんた、チップ払っていないよ!”と、若いウェートレス。

そう、ここは米国、チップの国だったのです!!
先程の演奏にスッカリ圧倒されて意気消沈した私は、チップの事などスッカリ忘れてしまっていました。

“ソーリー”と彼女に謝ってチップを渡した東洋人は、再びホテル路へと向かうのでしたが、フト、
“なんでチップなんてモノがあるの?”、
“なんで客である私が謝るの?”・・・、
と東洋には無い習慣に戸惑いを隠せませんでした。
(彼女たちはそのチップが貴重な収入源ですから、態々追いかけてくるのは当たり前なのですが・・・)

まあ、そんなこんなでジャズ・クラブをハシゴするなんて当初の目論見は水泡と化し、敗戦の将の如きダメージを抱えてニューヨーク初日の夜は終わりを迎えるのでした・・・。

次回に続く

2007年3月 4日 (日)

挑戦!米国大陸(ニューヨーク編)

今日はニューヨークについて書きます。

この世界に名だたる国際都市ビッグ・アップルはジャズのメッカという事もあって、長いこと私の憧れの地でもありました。

初めて訪れたのは、もう15年も前になりますでしょうか?
当時の私は未だ20代の若造に過ぎず、ニューヨークの持つ都会の雰囲気に圧倒されながらもJFK空港に降り立ちました。
飛行機内で聴いたガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」に心躍らせて、いざ米国挑戦の始まりでした。

Jfk
空港前にはイエロー・キャブが一杯!

先ず第一印象は英語が早口で聞き取り難かった事でしょうか。
話すスピードが都会のためかどうかは分かりませんが、皆ペラペラ(?)と秋田県人の事など一切お構いなしで話します。
“こちとらニッポン人でェい、しかも秋田県人なんだ~”とは、一切関係ありません!(当然ですが・・・)
空港から市内に向かうタクシーのドライバーは頭に白いターバンを巻いたインドからの出稼ぎ(?)ドライバーです。
同じ亜細亜人同士、たどたどしい英語で何とか会話をしてホテルへチェック・インしましたが、ホテルがニューヨーク・ヒルトンだったためフロントが大忙しで、輪を掛けて早口で(まるでガトリングガンの様な速射砲で)秋田県人を苦しめます。

“ん~、初日からこの調子では先が思いやられるな、こりゃ”と、先制ジャブでダメージを食った私は気分一転散歩に出掛ける事にしました。
夜はジャズ・クラブをハシゴするべく決めていましたので、近場のブロード・ウェイへとフラフラ徘徊をして来たのですが、もう気分はスッカリおのぼりさんです!

Broadway
こ、こ、これがブロード・ウェイってヤツか・・・!

まあ、秋田のド田舎者ですから子供の頃からテレビや雑誌で目にしていた、あのブロード・ウェイの通りを私が歩いているのですから無理もありません。
東京とは違う大都会の街の雰囲気に圧倒されているうちに、スッカリ日は落ちて夜の闇に燦然と照らされるブロード・ウェイ・ストリート。
もう~、格好良いったらありません!!

そんなこんなで、瞬く間にジャズ・クラブへと行く時間になってしまいました。
近くのマクドナルドでハンバーガーを食べ、腹ごしらえしたら直行です。
お目当ての店は、そう有名な「Village Vanguard(ヴィレッジ・ヴァンガード)」です!
この日の出演はピアノ:トミー・フラナガン、ベース:ジョージ・ムラーツ、ドラムス:黒人(?)忘れました、のピアノ・トリオでした。

Villegevanguard

ライブの内容やこの夜のハプニングはまた明日書きますね。

そう、実は眠いので~す。
何だか最近は寝不足が続いています。
今日も睡眠時間は1時間半でした。
売れっ子タレントでもあるまいし、何でそうなのかと申しますと・・・
実は私の隣の家でニワトリ小屋の修理をして朝からハンマ片手にトンカン・トンカンとやっているのです。

そう、私は秋田の超ド田舎に住んでおりますので動物(家畜)とはお友達なのです!
今は流石に見かけませんが、私が子供の頃には馬・牛・豚・鶏・・・は当たり前のように何処の家でも飼っていました。
現在、隣の家では鶏だけ飼っていますので、朝は“コケコッコー”という泣き声で目覚めるのです。
そんな住宅環境ですが、両隣とはほぼ隙間無く隣接していますので、音は聞こえてしまいます。
(でも夜中でも平気でピアノを弾いてしまう私なのですがね・・・・)

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